2004年04月17日

スガシカオさん【やつらの足音のバラード】

アーティストのスガシカオさんが、5月12日に新曲をリリースします。
タイトルは「秘密」。
マキシシングルでして、その3曲目には「やつらの足音のバラード」が収録されています。

「やつらの足音のバラード? はて、どこかで聞いた事があるような・・・」
そう思う方、あなたは正しい。
「はじめ人間ギャートルズ」という古いアニメのエンディング曲として使用されて曲なのです。
作曲 かまやつひろしさん、作詞 園山俊二さん。

「はじめ人間ギャートルズ」は、マンモスが闊歩している古代を生きる人々のギャグアニメです。
マンモスの肉をスライスした肉の美味しそうな事
「Woooooo」と叫ぶと、それが石文字となって空を飛ぶ事
ドテチンというゴリラのような生き物が登場して、「ドテチン」という言葉のみで感情表現している事
そんな事を思い出しますね。
ギャグテイストの内容とは裏腹に、エンディング曲は、ちょっと寂しいシリアスな曲調だった事が、幼少の私にはとても印象的でした。
昔のアニメは、エンディングに名曲が多いですよね。
ちょっとアニメとは違うけれど、「ダウンタウンのごっええ感じ」という番組で、「エキセントリック少年ボーイ」という特撮パロディがあり、そのエンディングテーマ「ああ、エキセントリック少年ボーイ」(作詞・松本人志 作曲・奥田民生<ご自身のコンサートでも歌っている!>)なんかも、同じような郷愁感漂う名曲ですね。

今回、この曲をスガシカオさんが歌う事になりました。
ちなみにこの曲、ダイドーのMIUのCM(北野武さん出演)で使用されています。
深く青い海の底、大きな白い卵を抱えて座っている北野さんが映っており、そのバックにこの曲が流れています。

♪なんにもない なんにもない
♪まったく なんにもない
♪生まれた 生まれた 何が生まれた
♪星がひとつ 暗い宇宙に 生まれた

生命の起源、何万年という単位で流れる時間、そんな空気の画面に、この曲はピッタリです。

スガさんはご自身が出演しているラジオ番組にて、この曲の収録した時の事を語っていました。
この曲を歌うと決まった時、その曲調からして、「とても簡単に歌える」とタカをくくっていたそうです。
スタジオで収録する前に、とりあえず自宅で練習してみることにしました。
しかし、歌えなかったそうです。
何度、声に出しても上手く歌えませんでした。
あれだけの歌唱力を持ちながら、どうして歌えなかったのか。
それに大してご自身は、こう答えています。

「俺は、地球のー生に立ちあっていないから」

この曲の歌詞は、
全く何もなかった所に地球が生まれ、
やがて風が吹き、
草が生え、
木が生え、
海に生物が生まれ、
恐竜が生まれ、
火山が大暴れした後に氷河期を迎え、
寒さに耐えうるためにマンモスは長い毛を覆い、
やがて、人間が生まれる・・・
太古の地球上で行われた生命の誕生の繰り返しが描かれています。
そんな壮大な地球の営みに立ち会っていない自分には、それがどうしてもイメージが出来ずに歌えなかったそうです。

恋愛の曲は良いのだそうです。
自分にある数多くの恋愛体験を元にイメージして歌えばいいのですから。
しかしこの曲は、そんな数多くの恋愛という出来事さえも、地球上の歴史から見れば、ミジンコよりも小さな出来事。
何とか歌おうとしても、「ただ、歌わされている」という感じになってしまい、感情が込められない。
そしてレコーディング当日、彼はたった2回だけ歌いました。
その数少ない収録の中で、全力を投入したのです。
そして出来上がったのが、CMやCDで耳にする曲なのでした。

私は、歌でご飯を食べている人は、どんな曲でさえも自分なりに消化し、いとも簡単に歌えるものだと思っていました。
けれど違うんですね。
プロだからこそ、その曲に込められたものを受け止めようと苦しむのですね。
その曲が壮大であれば壮大であるほど、自分のものとするまでには大変な事が分かりました。

私は歌手でないので、実体験としては、それを感じる事が出来ません。
けれど似たような事はあります。
文章を書くときにそれを感じます。
私は自分のサイトにて、こうやって毎日文章を書き連ねています。
こうやって書く分には、何も辛くもないし、スラスラと書けます。
見たり聞いたり、実際にやってみたりと、自分の中で消化した経験に基づいて書いているからだと思います。
頭の中で校正も出来上がっているので、それを文章に起こすだけですから、思いついた言葉をそのまま文章に出来ます。
けれど小説を書くのは難しい。
何故かというと、「私はその小説の主人公達ではないから」。
小説は、言葉という媒体を使い、どんな事でも表現が可能です。
それこそ、地球の誕生から人の一生まで。
しかし、可能だからと云って、何でも簡単にそれを文章に出来る訳ではありません。
小説には、主人公をはじめ、数多くの登場人物が出てきます。
小説の中では、その人達の人生の一ページが切り取られて語られます。
しかし、主人公達一人一人には、長い人生のバックグラウンドがあるのです。
どこで生まれ、何をして育ったのか。
性格は? 友達はどんな人? どこの学校へ通ったの?
そんな莫大な情報量を元にキャラクターを構成します。
主人公だけでなく、そこに登場する人達の全てに対し、キャラクター構成をしないといけません。
それをやらないと、キャラクターが薄っぺらになってしまうのです。
私は自分の人生だけですら精一杯なのに、こんなに多くのキャラクターの人生を背負い込み、書くなんて出来ません。
無理やり書いていると、「この場面に遭遇した主人公は、どう行動するのだろうか?」と悩んでいるうちに頭痛がしてくるのです。
「私はその人の人生に立ち会っていないのだから、どう行動するかなんて分かる訳がない・・・」
同じ「文章」を使ったものなのに、こういうコラムは自分の中で消化できる内容だから簡単に書けるけれど、小説は書けません。
スガシカオさんが、今回の曲を歌うのに苦労した事が、ちょっとだけ分かるような気がします。
その人の今まで生きてきた経験値・能力値によって、その作品に対して悩む程度が変わってくるのです。

私には、「やつらの足音のバラード」のような文章は書けないでしょう。
私の得意とする分野は、日常の中で体験する何気ない出来事を綴ったものです。
「お前の頭の中の庭は狭い!」と云われるかもしれないけれど、虚勢を張って壮大なものを書こうとすると、とても薄っぺらで嘘臭くなってしまいます。
そんなものを私は書きたいと思いません。
ちゃんとした内容を書きたいからこそ、私は自分の理解しうる内容について、今後も書いていきたいと思います。

この曲を聴いて、そんな事を思った神崎でした。
CDリリースが待ち遠しいですね。

Posted by kanzaki at 2004年04月17日 07:00 | トラックバック (1)
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