2010年02月04日

NHKスペシャル無縁社会〜“無縁死(むえんし)”3万2千人の衝撃〜【2・身元不明の死】

前回の続きです(前回の記事が、ものすごく話題になったようですね)。

●神崎のナナメ読み: NHKスペシャル無縁社会〜“無縁死(むえんし)”3万2千人の衝撃〜【1・行旅死亡人(こうりょしぼうにん)とは】
http://kanzaki.sub.jp/archives/002015.html


NHKの取材班は、官報に掲載されていた行旅死亡人のひとつの記事に注目しました。
自宅の居間にいたにも関わらず、名前が分からず氏名不詳となっていたからです。
取材班は、この男性の死までの軌跡を追うことにしました。


●身元不明の死/無縁死3万2千人

遺体発見現場は、東京都大田区の住宅街にある古いアパートでした。
身元不明の男性が住んでいた部屋には、テレビや冷蔵庫もそののま置かれ、コンロの上にはフライパンもありましたし、そばには使いかけの醤油の瓶などもありました。
テレビの側には、ガラスケースに入れられた古い和風の女性人形もありました。
湯飲み茶碗の中には、使い古しの歯ブラシがありました。

大家さんによると、遺体発見の際、物凄い臭いだったそうです。
氏名不詳の男性の死は、一週間以上気づかれなかったとのこと。

第一発見者のアパートの住人によりますと、発見当時、テレビは音を流し続けていました。
明かりも灯ったまま。
部屋にはコタツがあり、そこに足を入れて普通に座った状態で死んでいたのです。

大家さんが、氏名不詳の男性と交わしたアパートの契約書を見つけてくれました。
平成3年に入居していました。
契約書には彼の名前がありました。
小林忠利さん。
なぜ名前があるのに、氏名不詳となっていたのか?

アパートの住人達にたずねてみました。
住人は地方出身の単身者(それも高齢)ばかりでした。
住人同士のつきあいはなかったようです。
家族もいないので、誰一人、小林さんの身元を特定することはできなかったのです(そんな馬鹿な事ってあるのでしょうか? 通帳もあったし、勤め先も知られていたのに・・・)。

大家さんによると小林さんは、都南給食センターに勤めていたそうです。
アパートから自転車で10分ぐらいで行けます。
取材班は、勤め先であった近所の給食センターへ向かいました。

小林さんは正社員として20年間、定年まで無遅刻、無欠勤だったそうです。
退職後、同僚とのつきあいは薄れていました。

従業員に話しを聞きますと、小林さんは寂しそうな目をしていたそうです。
一人で東京にいるよりも、故郷に帰りたかった・・・・・そんな感じだったそうです。

給食センターに保管されてあるであろう小林さんの履歴書を探してもらいました。
そして、それは見つかりました。

名前さえ分からなかった小林忠利さん(享年73)。
自筆で書かれた履歴書には、出身地は秋田市川尻町と書かれていました。

取材班は、小林さんの歩んだ人生を調べるため、本籍地・秋田へ向かいました。
近所の人の案内で、実家の住所へ向かいました。
しかし既に、実家の建物はありませんでした。
この辺りは全部、都市計画で変わってしまったのだそうです。
土地は人手に渡り、小林さんの両親は既に亡くなっていました。

履歴書を見ますと、小林さんは高校卒業後、地元の木工所に勤務していました。
しかし、32歳の時に倒産。
地元に親を残し、東京へ働きに出ました。

取材中、小中学校時代の同級生が見つかりました。
同期会の話題で、小林さんの事が上がったことは無いそうです。
小学校の同期会名簿を見ますと、小林さんは消息不明の欄に記載されていました。
小林さんは両親の死後、故郷との繋がりも無くしていました。

この10年、衰退が一気に進んだ地方都市。
都会へ出たまま故郷へ戻れない人達が急増しています。

小林さんの遺品の中に残されていた一枚の通行証。
その手がかりから、亡くなる半年前まで東京で派遣労働をしていた事が分かりました。

派遣会社の社長に聞きますと、小林さんはニコニコと働いてくれていたそうです。
工業用の機械のある部屋の中で、普通の人ならば単調的で嫌になる仕事。
汚れて爪の中まで機械の油で真っ黒になるからです。
けれど働いてくれた。

小林さんは給食センターを定年退職した後も、日雇いで働いていました。
繁忙期だけ声をかけられて仕事をしていたのだそうです。
日給一万円の仕事。

小林さんは故郷を心の中から忘れ去っていたわけではありませんでした。
秋田にある両親の墓の供養料を寺へ送り続けていたからです。

東京の無縁墓地に埋葬された小林さん。
彼は故郷へ戻ることは出来ませんでした。

小林さんは故郷との繋がりをなくし、東京でも繋がりを失ったまま無縁死していました。

小林さんの官報の記事。
前回に解説しました行旅死亡人の欄には、こう書かれていました。


行旅死亡人

本籍・住所・氏名不詳の男性、身長162cmぐらい、体格中肉、年齢60〜80歳(推定)、所持品は現金100,983円、預金通帳2通、キャッシュカード2枚、財布等2個、住民基本台帳カード1枚、腕時計1個、青色パンツ着用
上記の者は平成20年11月5日午後3時15分頃、○○○○居間であぐらを組み、前に倒れ込む様に腐乱状態で死亡しているのが発見された。死亡年月日は平成20年・・・・・・・・。


その記事は10行で終わっていました。
預金通帳や住民基本台帳カードもあるし、しかも勤務先まで分かっていたのに、なんで身元不明なんだよ・・・。

ごく当たり前の生活をしてきた人がひとつ、またひとつ繋がりを失い、一人孤独に死んでいった姿が見えてきました。
3万2千人の無縁死。
取材をしていくと、家族がいるのに引き取られないケースが多いことが分かってきました。

(続く)

真面目に生きてきた人なのに、なんでこんな結末を迎えたのでしょうか?
やはり、人との「縁」というものが希薄だったからなのでしょうか。

「最近の若い人達は、人間関係が希薄だ」なんて言われますが、実は若い人だけではなく、年配の人達も変わらないのかもしれません。
年代ではなく、そういう時代なのかも。

若い人達は、何だかんだ色んな場面で、社会や人と接点があります。
仕事をしていれば尚更。
けれど定年退職をして、しかも身内が誰一人いない状態だと、よほど自分から接点を作らなければ、孤独になってしまいます。
インターネット上で同じ趣味の人を見つけるとかもないでしょうしね。

自分というものをこの世の中に残すには「縁」が必要。
縁とは、相手に自分の存在を記憶してもらうことだと思うのです。
縁が薄れるとは、相手の記憶から忘れ去られるという事。つまり無関心。

縁を沢山残して、この世を去りたいものです。
しかし私自身、そんなに縁があるのかなあ・・・。

このサイトも私が死んで、レンタルサーバーの更新料を支払わなければ消滅します。
けれどグーグルのキャッシュ等で、永遠にネットの海をさまようのかもしれません。
誰かの目に止まり、少しでも書いた記事に興味を持ってもらえれば、死んだ後も「縁」というものが増え続けるかもしれません。


●次回の記事: NHKスペシャル無縁社会〜“無縁死(むえんし)”3万2千人の衝撃〜【3・薄れる家族とのつながり】
http://kanzaki.sub.jp/archives/002017.html


*NHKスペシャル無縁社会(全6回)

●神崎のナナメ読み: NHKスペシャル無縁社会〜“無縁死(むえんし)”3万2千人の衝撃〜【1・行旅死亡人(こうりょしぼうにん)とは】
http://kanzaki.sub.jp/archives/002015.html

●神崎のナナメ読み: NHKスペシャル無縁社会〜“無縁死(むえんし)”3万2千人の衝撃〜【2・身元不明の死】
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●神崎のナナメ読み: NHKスペシャル無縁社会〜“無縁死(むえんし)”3万2千人の衝撃〜【3・薄れる家族とのつながり】
http://kanzaki.sub.jp/archives/002017.html

●神崎のナナメ読み: NHKスペシャル無縁社会〜“無縁死(むえんし)”3万2千人の衝撃〜【4・会社とのつながりを失った人々】
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●神崎のナナメ読み: NHKスペシャル無縁社会〜“無縁死(むえんし)”3万2千人の衝撃〜【6・希望の光】
http://kanzaki.sub.jp/archives/002020.html

Posted by kanzaki at 2010年02月04日 21:48