(東京ガスのCM 家族の絆 「母からのエール」篇。
放送後、批判続出で打ち切りになりました。
確かに、自分と重ねて、心が重くなる人も多いと思います。
せめて最後の最後で、ハッピーエンドにしていればね。
けれど、家族という大きな支えは感じられました。
これもある意味、企業から学生への「告知」です)
(「お父さんのチャーハン」篇。
東京ガスのCMで一番好きです。
家庭料理と時間の組み合わせは反則的です。何度も泣いてしまう)
※
【幻の心臓病】
新聞に、とある医師のコラムが掲載されていました。
この医師は、田舎の小さな診療所で、地域の高齢者と向き合う日々でした。
・ある日、お婆さんが風邪でやってきました。
・病歴に、心臓病がありました。しかし、心臓から雑音が一切ありません。
・お婆さんは、医師の言葉に忠実に、運動を避け、結婚もせずに暮らしてきました。
・確かにこの病気(先天性の心室中隔欠損症)は、何割か自然治癒します。
医師の説明があったのか定かではありませんが、お婆さんは持病を信じ続けました。
病は消えましたが、幻の心臓病を後生大事に胸に抱き続け、今日まで生きてきたのです。
・医師は、念のため再検査をした上で、このお婆さんに酷な宣告をしました。
「心臓病は消えています。立派な心臓です。良かったですね」
・お婆さんは耳を疑いました。うれしいのか、情けないのか、それすら分からず黙りこんでしまいました。
「これまでに、胸の苦痛はありましたか?」
「だすけ、ずっと何もなく、少し変だと思うたがて」
・お婆さんはそう言うと、長い冤罪(えんざい)が晴れた人のように、寂しげな笑みを浮かべていました。その後、そのお婆さんは、受診に来ていません。
・本当にこれでよかったのか。軽々と告げてはならなかったのかもしれません。
残された人生に「幸あれ」と祈るばかりです。
※※※
【がんと闘った家族の物語】
「大切なひとのためにできること」という本があります。
松竹の映画宣伝部に所属する清宮礼子さんが書きました。
お父さんが肺腺がんを患い、家族とともに立ち向かった21カ月の闘病生活記です。
清宮さんは、滝田洋二郎監督作「おくりびと」の宣伝を担当する傍らで執筆しました。
●Amazon.co.jp: 大切なひとのためにできること がんと闘った家族の物語: 清宮 礼子: 本
http://www.amazon.co.jp/dp/4286102165/
突然の父親の大病。
しかも、末期で手術も出来ません。
清宮さんは、入院の手続き、連絡、費用の工面、さらにそれらをやりながら仕事もしなければなりません。
しかも先生と、今後の治療方針を話し合い、書類にサインをしなければいけません。
ショックで混乱している時、そんな大きな判断をしなければいけないのです。
そんな中、お父さんも、闘病に立ち向かいます。
更に、家族に迷惑がかからないように自分で、市役所や社会保険庁などへ問い合わせ、国の様々なサービス(高額治療費制度、傷害手当金)を利用しました。
ちなみに清宮さんは、最初っからためらわず「セカンドオピニオン」を受けた方が良いと語っています。
セカンドオピニオンとは、診断や治療方針について主治医以外の医師の意見の事をいいます。
こういう突然のショッキングな出来事の中、それでも、前へ進んでいかなければいけない気持ちは、とてもよく分かります。
昨年末、私の母が、交通事故で大怪我をしましたから。
救急車で搬送してくださった方から電話で知らされた時から、怒涛のように時間が過ぎました。
まだまだ療養中です。
いつ、完全回復するか分かりません。
たまに母が、「迷惑はかけないようにするから」と言います。
私は、泣きそうになるのを我慢して「迷惑をかけたっていいじゃん」と返します。
はやく良くなってね。
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