(これ一枚で、福沢諭吉先生が1000人以上集合しなければいけません)
●横山大観 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A8%AA%E5%B1%B1%E5%A4%A7%E8%A6%B3
横山 大観(よこやま たいかん)は、日本の美術家、日本画家。
近代日本画壇の巨匠であり、今日「朦朧体(もうろうたい)」と呼ばれる、線描を抑えた独特の没線描法を確立した。
明治から昭和にかけて日本画壇を先導し、代表作は「生々流転」「夜桜」「紅葉」など。1937年に第1回文化勲章を受章。
美術院の活動の中で、大観は春草と共に西洋画の画法を取り入れた新たな画風の研究を重ね、やがて線描を大胆に抑えた没線描法の絵画を次々に発表する。
しかしその先進的な画風は当時の画壇の守旧派から猛烈な批判を浴びた。
現在ではその画風を的確に表す言葉とされる「朦朧体」という呼称も、当初は「勢いに欠ける、曖昧でぼんやりとした画風」という意味で、批判的に使用された言葉であった。
【 語録 】
筆をもって絵を習うことはそう大騒ぎしなくてもよいのです。それよりも人物をつくることが大事で、それを土台にしないことにはいくらやっても駄目なことです。
【 略歴 】
1868 (M01) : 11/ 2 茨城 生まれ
1889 (M22) : 東京美術学校入学。橋本雅邦 らに学ぶ
1896 (M29) : 東京美術学校助教授に就く
1898 (M31) : 美術学校騒動により岡倉天心に殉じて辞職。天心らと共に日本美術院設立
1903 (M36) : 菱田春草 と共に、インド、アメリカ、ヨーロッパ訪問 〜 1905
1906 (M39) : 日本美術院移転に伴い茨城県五浦の地に移住
1914 (T03) : 前年の岡倉天心の死後、日本美術院を再興
1930 (S05) : ローマ日本美術展の美術使節として渡伊
1937 (S12) : 第1回文化勲章受章
1958 (S33) : 2/26 東京にて逝去
※
この作品も、「朦朧体」という技法が使われているようです。
カメラのピントをオートで合わせようとしても、ピントが合いませんでした。
線描を抑えたぼんやりした描き方のため、機械が迷ってしまうのです。
マニュアルでやってもだめ。
仕方がないので、絵の下部分にある木々に合わせて撮影しました。
機械が判断に迷わせるというのがすごいなあと思いました。
まるで、「俺を写真に撮るな。自分の目で見ろ!」と言っているかのようです。
上記は、拡大してみると、とても人工的に描いた絵には見えません。
ますます、どうやって描いたのか、私には謎です。
(こういう部分は、しっかり描いていますね。黒の部分って、線の引き方を失敗すると、リカバリが難しいです)
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