2021年12月21日

「古池や蛙飛びこむ水のおと」〜松尾芭蕉は弟子たちとの共同作業で完成させました

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●『55歳からの時間管理術 「折り返し後」の生き方のコツ (NHK出版新書)』(齋藤 孝 著)より


【松尾芭蕉──全国各地の弟子たちを訪ね歩く】


松尾芭蕉の功績は、俳句の世界で「蕉風」というスタイルを作り上げ、俳句の持つ芸術的価値を格段に高めたことにあります。
芭蕉によって、俳句は人生の深いところや芸術的な一瞬を切り取るものに変わっていきました。


素晴らしいのは、芭蕉のスタイルを気に入ったお弟子さんたちが全国に現れたことです。
芭蕉の代表的な俳諧紀行文である『おくのほそ道』は、西行ら先人たちの跡をたどり、弟子たちを訪ね歩くことで生まれました。
芭蕉の行く先々には弟子たちが待っていて、そこでは句会が開かれることになります。


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弟子たちとの句会では、最初の人が五七五の発句を出し、そこに次の人が七七を付けて、また次の人が五七五と付ける「連句」という形式で進みます。
36句続けると歌仙といって座が終わり、その後は批評し合って楽しむのです。
蕉風門下において、この句会は心が沸き立つような祝祭空間だったに違いありません。


いわば芭蕉は自分がリーダー的立場になり、メンバーを率いてチームで俳句世界を作っていったとも言えるでしょう。


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芭蕉のもっともな有名な句の一つである「古池や蛙飛びこむ水のおと」も、弟子たちとの共同作業によって完成しています。


もとは「山吹や蛙飛ンだる水の音」だったものが、弟子たちのとディスカッションを通して変化していったというのです。


55歳世代も、芭蕉のように若い人たちを導いていけたら素晴らしいと思います。


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松尾芭蕉の俳句が、集団作業によって生まれたことに驚きました。
芸術とかそういうのって、個人作業のイメージがありますからね。


そういや確かに、大きな絵を作成する際は、小さいサイズで先生が作成し、それを拡大したものは弟子が共同で作成するなんてのはあります。
大昔の海外の絵画工房はそんな感じでした。


変なこだわりを持たず、多くの弟子の意見を取り入れて名作を生む姿勢が素敵ですね。


私は55歳までまだ先ですが、この本を読んで、若い人と共同作業する価値を再認識しました。
Posted by kanzaki at 07:01
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