●『訓読みのはなし〜漢字文化圏の中の日本語〜 (光文社新書)』(笹原 宏之 著)より
「する」は、活用形が他の語と合わさって、新たな名詞を造り出すことも少なくなかった。
たとえば、「しあわせ」ということばがある。
時代小説などでは、この「幸せ」に当たる語を「仕合わせ」と書くものがあり、両者の違いは何なのか、と気になる人もあるようだ。
「しあわせ」とは元は運命を意味する語で、「為合わせ」の意とされ、「しあわせ」の語ができた中世より、「仕合」の表記が用いられてきた。
この「し」は「す(る)」の連用形によるものと考えられる。
「仕」は音読みが「シ」であると同時に、室町時代から江戸時代にかけての間には、「す(る)」を「仕(る)」(つかまつるとは別に)、「して」を「仕て」と書くことがあったため、「仕合」が当て字だという意識で用いられたとは限らない。
江戸時代に入る頃に、「しあわせ」が幸運の意に転じても、同じように記され続けた。
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「幸福」(熟語でしあわせと読む)や「幸せ」という表記、見方を変えるとそれらの「しあわせ」という熟字訓や訓読みは、明治以降によく使われるようになったものである。
「幸」は、人偏が付いた「倖」(熟語では「僥倖」など)の字に代用されることもある。
携帯メールやウェブ上では、近年、これに「くにがまえ」のついた「圉」を用いるケースまで現れた。
こうして「くにがまえ」の部分を「四角で囲う」と見なすことで「幸せ」の意を強調しているわけだが、それが一部の若い女性の目にはかわいく映るようである。
しかし、この字の実際の字音はギョで、その意味は牢屋である(馬飼いなどの意を生じた)。
幸せを四角の中に閉じこめたら牢屋になるとは皮肉な話だが、「幸」自体が罪人を原義とするものであることを考えると、それも納得できないことではない。
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【コメント】
「幸」に罪人の意味があるのをはじめて知りました。
そして、「圉」という漢字をはじめて意識しました。
よもや、牢屋という意味とは・・・。
「幸せを四角の中に閉じこめたら牢屋」というのは、ある意味、現代でも通じる意味合いかも。
現代の日本では、ちょっとでも王道な生き方から踏み外すと、即生活が窮地に陥ります。
「セカンドチャンスが無い国」だと思います。
そもそも、最初のチャンスすらリスクが大きすぎて、無難な選択しかできません。
世間では「自己責任」という4文字で処理してしまいますからね。
誰も助けてはくれません。
だから、閉鎖的な会社で働き、小さな住処で暮らし、接する人達も限られる。
物凄く「限定的な人生」ですが、それを受け入れないと、今日食べるものすら口に出来ない人生となります。
「日本」という漢字を「圉」に変えても良いかも。
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