2023年05月19日

『平家物語』と『方丈記』にみる人の変化

heikemono.JPG

●『バカの壁(新潮新書)』(養老孟司 著)より

脳化社会にいる我々とは違って、昔の人はそういうバカな思い込みをしていなかった。
なぜなら、個性そのものが変化してしまうことを知っていたからです。  


昔の書物を読むと、人間が常に変わることと、個性ということが一致しない、という思想が繰り返し出てくる。
『平家物語』の書き出しはまさにそうです。


「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり」という文から、どういうことを読み取るべきか。


鐘の音は物理学的に考えれば、いつも同じように響く。
しかし、それが何故、その時々で違って聞こえてくるのか。
それは、人間がひたすら変わっているからです。
聞くほうの気分が違えば、鐘の音が違って聞こえる。
『平家物語』の冒頭は、実はそれを言っているのです。


『方丈記』の冒頭もまったく同じ。


「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず」


川がある、それは情報だから同じだけど、川を構成している水は見るたびに変わっているじゃないか。


「世の中にある、人と栖と、またかくのごとし」。


人間も世界もまったく同じで、万物流転である。
中世の代表的な名作の両方ともが冒頭からこういう世界観を書き出している。
ということは、中世が発見した基本的な概念がそういうことだった、と考えられる。


※※※


【コメント】


世の中はそう簡単には変わらない。
相手に変化を求めても仕方がない。


それなら、自分の考えを変えてしまおう。
相手より、自分を変える方が容易だから。


よくそういう事が語られます。
実際、そういうものだと思います。


自分の考えを変えると景色が一変する。
冒頭の書籍内でも、「自分がガンだと知ったら、周りの景色の見方が変わる」と書いています。
咲き誇る桜。
その姿は誰が見ても同じだし、毎年見ることが出来る風景です。
けれど、自分が置かれた状況で、その桜を見た際の気持ちは変わります。


人間って、どんどん変わっていく生き物だと思います。
環境・置かれた状況によって変化するのは誰しも同じ。


問題は、ごく普通の生活の中で、どう自分を良い方向へ変化させていくかです。
なかな難しいですよね。


だから自ら、本を読んだり、旅をしたり、人と会ったりするのでしょう。
それはきっと、よい変化のための栄養補給になると思います。

Posted by kanzaki at 06:55
Old Topics