●『気にしない練習———不安・怒り・煩悩を“放念”するヒント (三笠書房)』(名取 芳彦 著)より
私がまだ二十代のころ、お寺に来た七十代のご婦人がこんな話をしてくれました。
「住職さん、うちの嫁は年に何回も海外旅行に行くんです。
その間、私は留守番で、家族の洗濯は全部私がやるんです。
でも嫁は、私が元気だから安心して旅行に行けますってお礼を言うんです。
で、私、洗濯物を干しながら考えました。
洗濯させられている、してやっているなんて思うより、洗濯させてもらっていると考えれば、ずっと気が楽になるって」
こうして私は「させてもらう」という言葉は謙虚でいいと思うようになりました。
そして、人のために何かをしてやる、してあげるというのは、傲慢な心の表れだと感じるようになりました。
「してあげる」は、人の役に立てる自信の表れでもありますが、ある意味で傲慢な気持ちが含まれているので、できれば謙虚な気持ちを表す「させてもらう」を使うべきだと思うようになったのです。
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ところがここに落とし穴がありました。
「してあげる」は、基本的に相手のことを思えばこその言葉です。
相手のことを思う気持ちは大切です。
それにもかかわらず、私は「してあげる」は傲慢だからと、人のために何かすることをしなくなった気がするのです。
しかし、相手のことを思って何かしてあげるのは、何もしないより明らかに素敵なことです。
偽善的だから、傲慢だからと遠ざけていれば、理屈ばかりでものごとを考えて、結果的に何もしない人になってしまいます。
誰かのために、何かをしてあげたいと思うのは、とても素敵ですよ。
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【コメント】
自分の心に、常にリミッターをかけるよう意識しているつもりです。
そうすることで、言動が暴走しないようになるからです。
自分の言ったこと、行ったことに責任を持たなければいけません。
けれど、そんな完璧な人間ではありませんから、全てに責任を負うことは不可能です。
だから、そうやってリミッターをかけます。
それは悪いことではありません。
そして、「させてもらう」という謙虚な態度は、相手を思う気持ちのあらわれにもつながりますから。
就職氷河期世代は、その気持を分かってくれると思います。
我々は厳しい環境下で虐げられてきましたから。
働く場所があるだけマシみたいな気持ちがあり、辛くても我慢してきました。
辛かったけれど、リミッターを心にかけるのだけは出来るようになったので、それは良かったのかなと。
まあ、それで搾取されていた部分も否定できませんが。
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