●『賢い人 愚かな人 ― 人生を克服する34の智慧 (スマナサーラ長老クラシックス)』(アルボムッレ・スマナサーラ 著)より
〜そのようなものはたとえ獲得できたとしても、自分から確実に離れていきます。
家族も離れるし、財産もなくなるし、社会的な地位や名誉もなくなるし、知識があっても年をとると忘れたり、ボケる場合もあります。
最後には、自分自身には何もなくなります。
何か自分と一体になるものを得た方がよいのです。
そういうものは自分と一緒ですから、なくなりません。
では自分から離れないものは、いったい何かと言うと、自分の人格だけしかないのです。
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人格の完成を目指して努力することは、生きる目的となるべきものだと言うことができると思います。
我々は何をするにしても、その「する」ことによって、自分の人格がいい方向へ変わるか変わらないかを確かめながら生きるならば、一生力強く、しっかりと生きていられるだろうと思います。
古い言葉に言い換えれば、徳を積みなさいということです。
いつも、自分の短所を減らし、長所が増えるように努力することです。
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生きる目的は何だろうと思い悩むよりも、人格を完成の方向へ持っていくために生きているのだと思った方がいいのではないでしょうか。
我々の性格では、直さなくてはならないものはいくらでもあります。
次から次へと欠点を見つけると、それらを直すために励まなくてはいけないというエネルギーも生まれてきます。
そうすると、死ぬまで元気で生きていられるはずです。
これからどうしようかという疑問が生まれません。
その人は死ぬときは確実にすばらしい人間として亡くなります。
その人にだけ、日本でよく言われる「生きていてよかった」という言葉を言う権利があります。
他の人々は無意味にただ生きているだけだと言えるのではないでしょうか。
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【コメント】
「人格の完成を目指す」
確かに自分に備わったものですから、失わないですよね。
尚且つ、何歳になっても成長し続けることができる。
(正直、認知症の場合は分かりません)
まあ、抽象的ではありますよね。
具体的に「人格」ってなによ? となります。
「性格」とは違うのか?
ネットで調べても、今ひとつ納得ができないです。
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それなら、「大人になる」というのはどうでしょう。
考えとしては人によってマチマチでしょうが、道徳的な意味での大人。
多分、社会で長年働いていても、大人の自覚を持っている人は少ないのではないでしょうか。
職場や家庭での役割は決まっていても、大人としての立ち振る舞いが出来ているとは、なかなか思えません。
この年齢になっても、私自身大人になれていません。
態度としては、「動じない」「余裕がある」というイメージがあります。
私に欠けているものばかりですが・・・。
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