●『恐れることは何もない (スマナサーラ長老クラシックス)』(アルボムッレ・スマナサーラ 著)より
ちょっとした智慧を用いると、正しい感情の使い方がわかってくる。
正しい感情というものがどういうものなのかが理解できるようになる。
正しい感情、それは欲張らないことであり、怒らないで優しい心をつくることであり、人のことをよく理解することであり、人のことを嫉妬したり、羨ましく思ったりしないことです。
人間はみんなそれぞれに努力して、それなりの結果を得ているのだから、それでいいではないかという、ごく波静かな感情を持つことです。
「隣の奥さんが自分より美人だ、くやしい」
「前の家は、自分のところより家柄がいい。それを鼻にかけている。いったい何さまのつもりだ」
などと腹を立てず、
「美人でよかった、いつも顔を合わせても、見ているこちらも気分がよくなるなあ」
「まあ、家柄がいいと自慢しているのなら、それはそれでいいではないか」
と思えばいいではないですか。
こういう感情は、すべて「善」なのです。
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心を育てるというのは、つまり「ちょっとした智慧を使って不善の言動をしないで、善の感情が生まれるようにする」ということなのです。
ところが、タチの悪いことに、善の感情はただでは生まれてこないのです。
ただで生まれてくるのは、不善の感情ばかりです。
それで困ってしまう。
怒りとか、嫉妬とか、欲、怠けなどという感情は、なんの苦労もなく自然発生的に生まれてきてしまう。
それが心というものの自然な姿です。
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「頭にきた!」ときの方向転換法 「ちょっとした智慧」という表現を使いましたが、心を穢れから守るための、かんたんな方法があるのです。
それは、「一旦停止」という法則です。
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何かあったらすぐに喋りはじめるのではなくて、一旦停止を使うのです。
何か気になることが起こった。
それについて自分もだれかに何か言いたくてたまらない、というときでも、一旦停止する。
一旦停止してから喋ろうと決心する。
すると、おもしろいことにそのとき芽生えた一時的な感情は抑えられて活動しなくなってしまうのです。
ちょっと考えるとやさしいようですが、これが結構きつい修行なのです。
いつもの習慣から、やはりすぐに喋りたくなってしまいますから。
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【コメント】
「善の感情」を生む苦労をする前に、まずは「負の感情を相手に向けない工夫」をするのが良いと考えます。
相手を攻撃すれば当然、対立状態になる。
しかし、いろいろ思うところはあっても、相手に牙を向けなければトラブルにはならない。
トラブルになると、リカバリが大変ですからね。
ひとまずは冷戦です。
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