(餃子の王将:12,1月期間限定「五目あんかけラーメン」(税込825円))
●こころを清らかにする言葉(著:アルボムッレ・スマナサーラ、中村富美枝)より
素晴らしい生き方
「不完全でいい、でもいい加減ではない、 これが私の精いっぱいだ」 というのが、いちばん素晴らしい生き方です。
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私たち人間は、大した存在ではありません。
それほど頭がいいわけでも、絶世の美男美女でもありません。
いままで 完璧 だった人などひとりもおらず、誰もがほどほどであったのです。
完璧に何かを成しとげることは不可能だと知りましょう。
「自分はしっかりした人間だ」などと思いあがるのはやめにすべきです。
どんなことでも、完璧を目指すと、とても苦しくなり、根をつめすぎて自滅します。
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まわりが評価するのは精いっぱいやっている態度であり、完璧な仕事ではありません。
満点を目指すのではなく、できることすべてをやり尽くすことです。
いい加減にやったわけではないのだから、非難されても別に気にする必要はありません。
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頭のいい上司なら、 重箱の隅をつつくようなことはせず、精いっぱいがんばったのだから、それで十分だと受けとります。
それ以上の仕事を望むのなら、上司が別の誰かに頼むべきだったのです。
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完全主義、完璧主義という無意味な観念を消してください。
十割バッターになれない自分を認めるのです。
それは「逃げ」やおよび腰などではまったくなく、「人間は不完全である」という真理を理解した人だけが到達する高度な諦念というべきものです。
※諦念(ていねん):道理を悟り、迷いを去った境地や、あきらめの境地を意味する言葉。
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【コメント】
昨日の本に続いて、「完璧主義」を否定した内容。
私は、自分の人生そのものが、脱・完璧主義です。
完璧主義を目指そうにも、残念ながらそうなれなかったというのが正解でしょうか。
それでも生きていけます。
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まわりの同年代が死んだり、健康を害したりしている中、なぜか私は健康診断オールAで生きています。
健康に良いと思われる生活習慣を日々の中に取り込んでいるからだと思います。
毎日やっているからこそ、ちょっとした前日とは違う違和感に気付けるのかなと。
そして、すぐ軌道修正できるように対処しています。
そんな大したスキルも持っていないし、社会的に大成しているわけでもない。
若いうちなら再挑戦もするのでしょうが、そういう「就職」とか、若い人が言う「夢」につながるような努力はもういいかなと。
それよりも、健康を第一にしたい。
だって、ちょっと風邪を引いても生活に支障が出るでしょ?
この何気ない生活だって、いろんなリスクが何気なく回避されて今に至っているのです。
なるべく生活習慣を崩さない。
ここは完璧とは言わずとも、継続したいですね。
完璧というより、「あきらめない」でやり続ける・・・・・そういう考え方です。
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世の中、完璧・究極を目指す人が多い。
そして、殆どが道半ばで脱落する。
過去の研究から、 イノベーションのほとんどは「思いついた人」ではなく「あきらめなかった人」が実現している ということがわかっていますよ。