2021年09月01日

「見えないライン」を引きまくっている人生

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●『心配事がスッと消える禅の習慣』(松原 正樹 著)より

どうして自分だけが苦しい思いをするんだ。
なぜ自分ばっかり損な役回りが回ってくるんだ。


一見、人を羨んでいるようでいて、自分が自分がの自我の思考に陥ってしまっているときは、一度、顔を上げてみましょう。


目の前を歩いている人と自分の間に境界線はありますか?
そこにいる人と自分に、何か違いがありますか?


自分ばかりが不幸だと、ラインを引いているのはあなた自身です。
自分も苦しいけれど、あの人にも苦しいときは必ずある。
そう思った瞬間にラインは消え、不幸なのは自分だけではないと気づくはずです。


見えないラインを引いてしまうのは、何も、ネガティブになっているときだけではありません。
自分はスペシャルな存在だと思い上がったときにも、他者との間にラインは引かれています。


自分がスペシャルだという認識を持っていると、他者との間にラインが引かれ、感情的にも他者から離れてしまいます。


すると、些細なことでイラだち、そんな空気を他者も感じとって離れていくため、最終的に孤立することになってしまうのです。


一方、「みんな同じ人間なんだ」「つながっているんだ」という意識を持つだけで、イラだちや不安の入り込む余地が少なくなり、どんな人ともつながりを感じて生きていくことができます。


※※※


確かに私は、「見えないライン」を引きまくっているように思います。


人間性善説で考えれば、こういうものは引かない方がいいでしょう。
日常ではそう考えた方がいいでしょう。


しかし、ラインを引かないようにして、「八方美人」になるのは危険かもしれないと私は思います。


私の人生を振り返るに、いいように利用されてきてばかりでした。
そのせいで、「自分と言うものがない」のです。
気付くのが遅かったのですが、気付けただけ良い方でしょう。


「見えないライン」を引いているのに、他者からはいいように使われている。
完全に、精神的な孤立状態になってしまいますね。


最近は、そのバランスというものをどうしたら良いものかと調整中です。


※※※


●他人に「振り回されない生き方」のヒント (知的生きかた文庫)』(加藤 諦三 著)より


八方美人的人間は、極端にいえば、周囲から思う存分、とことん軽く見られているのである。


そして、当人も周囲の人に明快な感情をもてないでいる。


彼は、いろいろな人とつきあう。
ある人とは日常的につきあっている。
そして、その日常的につきあっている人を自分の味方だと錯覚している。
自分は重んじられていると錯覚している。
自分は好かれていると錯覚している。  しかし、彼は、自分が何か大変な困難にぶつかって周囲の援助を必要とした時、周囲の人間が自分をどう見ていたかという現実を知る。


他人にとって、あなたはそんなに重大な存在ではない。


ある八方美人のビジネスマンは、会議に出るのを嫌がっていた。
会議において、自分が発言することを期待されていると錯覚していたからである。


誰も、彼のことなどなんとも思っていないのである。
八方美人もまた、現実と接することなく、一人でつくった架空の世界に生きているのである。

Posted by kanzaki at 07:05
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