2006年01月06日

特撮関連情報(06.1/6付)〜トクサツ・ナイツ第1夜 円谷英二物語

昨日の石ノ森先生の記事ですが、他所でも取り上げられておりました。

スポニチより(お知らせ済み)
●石ノ森氏の1コマ漫画発見
http://www.sponichi.co.jp/society/flash/KFullFlash20060105002.html

・デイリースポーツより
石ノ森氏の1コマ漫画発見
http://daily.jp/newsflash/2006/01/05/200210.shtml

・サンスポより
石ノ森氏の1コマ漫画発見−母校の高校新聞に掲載
http://www.sanspo.com/sokuho/0105sokuho013.html

・ZAKZAKより
石ノ森氏、高校時代の一コマ漫画発見!母校の新聞に
http://www.zakzak.co.jp/gei/2006_01/g2006010512.html

デイリースポーツによりますと、宮城県佐沼高等学校のホームページで、今回の四作品を見ることができます。

・石ノ森章太郎氏の佐沼高校時代のヒトコマ漫画集記録(一部)
http://sanuma.myswan.ne.jp/isenomore009.htm    

・漫画の天才石ノ森章太郎氏の佐沼高校時代
「おーい!!みんな 石ノ森章太郎の高校時代て知ってるかーィ!!。」
http://sanuma.myswan.ne.jp/esinomore.htm

上記の石ノ森先生のサンスポとスポニチの記事は、速報のようで、正式?な記事がアップされております。

サンスポより
●故・石ノ森氏の1コマ漫画、母校から発見
http://www.sanspo.com/shakai/top/sha200601/sha2006010607.html

スポニチより
●石ノ森さんの1コマ漫画見つかる
http://www.sponichi.co.jp/society/news/2006/01/06/07.html
         
東映ビデオより 
2006年4月21日(金曜日)リリース・DVDセル商品  
●仮面ライダー THE FIRST
http://www.toei-video.co.jp/data/hs/vcatalog_dvd/item/200604/dstd02543.html

●仮面ライダー THE FIRST コレクターズエディション
http://www.toei-video.co.jp/data/hs/vcatalog_dvd/item/200604/dstd02545.html

●電磁戦隊メガレンジャー Vol.1
http://www.toei-video.co.jp/data/hs/vcatalog_dvd/item/200604/dstd07201.html

以上、匿名さんからの情報でした。
匿名さん、ありがとうございました。
匿名さんによりますと、スポニチ誌(新聞のほう)にビデオリサーチのデータを基にしたスポニチ独自集計の紅白視聴率がでており、布施明さんの「少年よ」の時間は、36.1%となっていたそうです。
これだけの沢山の人たちに現行ライダーの姿を披露できたのだから何も云う事なしの満足な結果です。

●深キョン「富豪刑事」パート2 テレ朝新ドラマ枠第1弾
http://www.yomiuri.co.jp/hochi/geinou/jan/o20060105_50.htm

テレビ朝日が5日、4月期から金曜午後9時に連ドラ枠を新設することを発表した。テレ朝と大阪のABCの共同制作で、第1弾は女優・深田恭子(23)主演の「富豪刑事」のパート2になる。

好きだったので、続編の登場は素直に嬉しいです。
しかし、キャストは変えないで欲しいです。
「トリック」と比較されがちですが、この作品は「トリック」に追いつこうとしている内に、我々の予想の斜め45度先へ吹っ飛んでいった作品になったのも、あのキャスティングのおかげだと思いますから。
あと、「あの〜ちょっとよろしいですか?」の台詞の他に、謎が解けた際の決め台詞が欲しいところですね。

●05年米映画興行収入、ソニーが5位に転落
http://www.nikkei.co.jp/news/main/20060105AT2M0500A05012006.html

ソニーの興行収入は9億1870万ドル(約1070億円)で「スパイダーマン2」の大ヒットなどで13億1400万ドルを稼いだ前年に比べて30%も減少した。ヒット作がほぼ皆無だったことが響いた。

こりゃもう毎年、スパイダーマン3、スパイダーマン4と、釣りバカ日誌並みに毎年公開するしかありませんね。
ネタが足りなければ、東映版も上映してしまえば良いかと。

●優香、アイドル脱皮?映画「輪廻」主演、7日公開
http://chuspo.chunichi.co.jp/00/hou/20060104/spon____hou_____004.shtml

タレントの優香(25)がホラー映画に初主演した「輪廻(りんね)」(清水崇監督)が7日、名古屋・ピカデリーなどで公開される。優香と清水監督がこのほどキャンペーンで名古屋を訪れ、「今までのホラー映画とは違う。ホラー嫌いの人にこそ見てほしい」と、揺るぎない自信をうかがわせた。

●ヒュンダイが新型高級モデル「グレンジャー」を日本発売
http://response.jp/issue/2006/0105/article77944_1.html

5色揃ってグレンジャー!


●トクサツ・ナイツ第1夜 円谷英二物語

先日、お伝えしましたとおり、4月からNHKハイビジョンで「生物彗星WoO」と云う特撮番組がはじまります。

生物彗星WoO 公式サイト
http://www.nhk.or.jp/woo/

特撮関連情報(06.1/3付)〜4月からハイビジョン特撮ドラマ「生物彗星WoO」放映開始
http://kanzaki.sub.jp/archives/000831.html

特撮関連情報(06.1/5付)〜トクサツ・ナイツ第2夜 メトロン星人の怪獣大作戦
http://kanzaki.sub.jp/archives/000833.html

先日4日は、その関連番組として、円谷英二さんの生涯についての解説番組を行っていました。

トクサツ・ナイツ第1夜 円谷英二物語

2006年1月4日(水)午後7時30分〜7時55分 BShi
「生物彗星WoO」の原点となった40年前の「WoO」。
その生みの親である円谷英二の生涯をたどります。

今回は、その番組の内容を掻い摘んでご紹介したいと思います。
(前回、第2夜をレビューしたので、順序が逆になっちゃいましたが・・・)

○円谷英二のイメージ
「生物彗星WoO」は、円谷英二監督が40年前に企画した作品。
しかしそれは実現されませんでした。
そして2006年、その企画が復活します。
円谷英二監督を知るスタッフ達は、監督を「開拓者」「(作品の)生みの親」「生き様は手本であり憧れ」「茶の間で子供たちが楽しめる作品を作った人」「やさしいお父さんのような人」と語ります。
彼についての詳しいことは、下記を参照するとよいかと思います。

円谷英二 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%86%86%E8%B0%B7%E8%8B%B1%E4%BA%8C


○少年時代の円谷英二:
1901年7月10日生まれ。
須賀川市に生まれました。
小さい頃から地元では有名人でした。
今も彼を称えて、地元の至る所にある変電BOXには、怪獣やウルトラマン、ご本人の絵が描かれています。
彼は少年時代に機械仕掛けの飛行機を作りました。
その飛行の際は、新聞社が記事にする為に取材が来たほどです。
飛行機の存在すら殆ど知られていない時代に、このような事をする彼は、やはり只者ではありませんでした。

○映画の世界へ:
1910年、彼は日本飛行学校へ入学しました。
しかし、たった10か月で閉校となりました。
そんな彼は、映画の世界へ入っていきます。
1930年「野狐三次(松竹京都・小石栄一監督)」と云う作品の撮影を担当しました。
彼はグラスワーク、クレーン撮影等、次々と新しい方法を実践しました。
彼は時代劇にて、長屋を深く撮りたい時、長屋の先を絵を描いて背景スクリーンにしました。
ミニチュアを作るのも上手かったそうです。

1933年「キングコング」が日本で上映され、その作品に影響を受けました。
彼はフィルムを取り寄せ、1コマ1コマずつ調べて、技術を解析しました。

彼を知る人のインタビューによりますと、当時、特撮はガキのものと云うイメージがあったそうです。
特撮のミニチュアの準備は、物凄く時間がかかります。
そして、現場で撮影した後にも、色々な特殊処理をしたりする。
すぐに完成された作品にならないので、当時の映画業界の人たちは、なかなか特撮と云うものを理解できなかったらしい。
物凄く時間が掛かり、いつまでも完成しないので、彼はサボっているのではないかとまで云われ、「円谷」ならぬ「ズボラヤ」なんて呼ばれたりもしたらしい。

1942年の作品「ハワイ・マレー沖海戦」。
真珠湾攻撃を特撮技術で製作した作品です。
演出した円谷さんの特撮技術がふんだんに盛り込まれ、当時のGHQが、本物の記録映画と勘違いしたと云うエピソードがあります。
それだけリアル感のある特撮だったんですね。

1954年には、「ゴジラ」を製作。
あの「七人の侍」が製作されている中、既にあれほどまでの特撮映画を世に放っていました。
ミニチュアと着ぐるみを使った撮影。
海外でもヒットしました。
特技監督の円谷は、「世界の円谷」になったのです。

1956年「空の怪獣ラドン」を製作。
「操演」と云う技術が用いられました。
タコの動きを研究し、複雑な動きを追求した結果生み出されたものです。

1964年の作品「宇宙大怪獣ドゴラ」。
ここで「合成」と云う技術が登場。
ドゴラはスペースモンスター。
不可思議な怪獣の動きを水槽の中で再現し、ミニチュアと組み合わせました。


○テレビの世界へ:
1963年、株式会社円谷特技プロダクションを設立。
新しいメディアであるテレビへ挑戦しました。
当時、テレビの世界では、映画のプロ、舞台のプロ、そして素人が集まり、茶の間で楽しんでもらおうと、プライドを持って真剣に取り組みました。
彼もまたその一人。

オプチカル・プリンターと云う世界で2台しかない合成の機械を購入しました。
これにより、沢山の作品が生産できるようになりました。

テレビの初企画。テーマは「宇宙人」でした。
子供が見て楽しいもの。
宇宙人をお化けの延長、可笑しくて悲しい存在として描こうとしました。
それが「WoO」と云う生命体と遭遇するお話でした。
2006年4月に放映される「生物彗星WoO」の元となる企画。
当時のWoOは、半透明で不定形、目だけが光ったデザインでした。
ドゴラを発展したものらしい。
しかし、この企画は40年間眠りにつくことになります。


○ウルトラQ:
1964年に「ウルトラQ」を製作。
怪奇現象や宇宙人を扱ったこの作品。
オプチカル・プリンターの技術が物凄く目を見張る作品でした。

円谷監督は、昼間は東宝の仕事をして、夜は若手達の作る映像を厳しくチェックしていました。
勿論、褒めるところは褒めてあげます。

ウルトラQのヒットを受けて「ウルトラマン」が登場。
ベムラを追ってやってきたウルトラマン。
宇宙から来た地球人の味方と云うアイディアは、WoOから引き継いだものだとか。
円谷監督は、特撮シーンの陣頭指揮もして、妥協を許さない拘りを持って挑んでいました。

1968年には、メカの拘りの作品「マイティジャック」を発表。
ハイスピードカメラを使い、新たな撮影方法に挑みました。

1970年1月25日、狭心症によりこの世を去ります。

監督を知るスタッフのインタビューによると、信念を貫き、お客を見ないとかお客に失礼な事は絶対にしない人だったそうです。
何か難題が起きても「できるよ」と、まず一言云う人だったとか。
どこぞの政治家みたいに「善処します」とか云って逃げたりせず、「できるよ」と云ってから実現に向けて必死に取り組む人。

○そして、2006年・・・:
彼の意思を受け継ぎ、「WoO」が新しい映像表現を使い、バラエティ豊かな作品として誕生するのです。

Posted by kanzaki at 2006年01月06日 20:45 | トラックバック (0)