●『死の壁(新潮新書) 「壁」シリーズ』(養老孟司 著)より)
私はさんざん一元論、原理主義を批判していますが、ある意味で神様っていいな、と思うこともあるのです。
それは、「結局神の思し召しだから、人間の力ではどうにもならないことだから、仕方がない」と考えることには役に立つからです。
その前提のうえで、「生きるとはどういうことか」という話を患者さんも出来るからです。
「そんな話は高尚過ぎる。理屈はそうでも気持ちはそうはいかない」と言われればそうかもしれません。
だからもう少し卑近な例ということで、人事の話をしたのです。
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人事にせよ、死にせよ、いずれも「なかったことにする」ことは出来ません。
死は回復不能です。
一度殺した蠅を生き返らせることは出来ません。
だから人を殺してはいけないし、安易に自殺してはいけない。
安楽死をはじめ、死に関することを簡単に考えないほうがよい。
しかし、原則でいえば、人生のあらゆる行為に回復不能な面はあるのです。
死が関わっていない場合には、そういう面が強く感じられないというだけのことです。
ふだん、日常生活を送っているとあまり感じないだけで、実は毎日が取り返しがつかない日なのです。
今日という日は明日には無くなるのですから。
人生のあらゆる行為は取り返しがつかない。
そのことを死くらい歴然と示しているものはないのです。
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【コメント】
ある程度の年齢になると、一日一日の平穏な日々の幸福をありがたく感じます。
だから本当は、24時間すべてを大切にしたい。
けれど、過酷な仕事をしていると心身ともに疲れ、休日の大半を睡眠に費やしてしまう。
それをすることで、多少なりとも回復できるのならば、翌日の充実には役に立つ(けれど、寝ていた日は勿体ないと思う)。
どんなに充実した日を過ごそうが、はたまた無駄に過ごそうが、死へのカウントダウンは同じ。
そう思うと怖いけれど、普段は意識していない。
大抵は、風邪を引いたとか、怪我をしたとか、そういう時になって「ああ、何でもない普通の日がありがたい」と感じます。
仕事をしていると、そのサイクルの中で生きるから、「人生」「寿命」みたいな言葉を忘れがち。
もうすぐ、ゴールデンウイーク後半が始まります。
普段とは異なる一日のサイクルに身を置くことで、生きることの再確認をするのもありなのかなあと思います。
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