2016年03月12日

松尾芭蕉の「おくのほそ道」〜おじいちゃんになってからの旅かと思ったら、46歳だったと知って驚き

okunohosomichi.JPG
(新潟市の万代シテイ。左側の工事中の建物は、ラブラ2。今は完成し、まさかNGT48劇場ができるとは、まったく予想していませんでした)


松尾芭蕉の「おくのほそ道」。


2400キロ・約150日間、新潟も含む東北・北陸を巡る紀行文です。


松尾芭蕉のイラストなどを見るに、「おじいちゃんなのに徒歩でよく頑張ったなあ」と思っていました。
ところが、実は46歳だったと知ってびっくり。
ぜんぜん、自分と変わらないじゃん。


そういや、日本地図を作った伊能忠敬が測量を始めたのは56歳。
そこから72歳まで全国を歩きまわりました。
年齢を理由に旅をしないわけではなかったのです。


江戸時代の平均寿命は、30〜40歳。
しかし、それは乳幼児死亡率が高かったから。
20〜30代まで無事に生きてきたら、その後は60歳ぐらいまで長生きできました。


とはいえ、40代半ばでこれだけの長旅をする決心はすごいです。
当時の東北・北陸路は、未開発の難所が多く、危険もあったことでしょう。
現代のような優雅な旅ではなく、人生の修行の場だったのです。


平成の現代。
正直40代半ばって、不遇の世代です。
バブル時代のような金銭的・地位的なメリットを受けていない。
そのくせ、受験戦争などは競争は加熱していた時代。
ゆとり世代以下のような快適なネット環境・ガジェットもなく、不便で高価なものしかない。


それなりにいろんな経験を積み重ねたけれど、振り返るにあまりいいものではない。
経験というより、罰ゲームをこなしてきた感じ。
それらが重荷になって、背負いつづけるのが辛いだけ。


最近、私はいろんなものを手放しています。
所有物を捨てるのももちろんですが、薄い人間関係も手放しています。
必要なものだけで暮らし、穏やかになりたいからです。
捨てる前は怖いのですが、捨てたあとは、もっと早くに捨てれば良かったと思っています。


ひととおり手放して楽になったら、おそらく旅に出ると思います。
遠くに行くという旅だけではありません。
日々の暮らしも、旅人のようにしたいのです。
旅人ならではの時間の流れに身を置き、一期一会の旅愁を味わうのも悪くありません。



【新潟のエピソードもある】


「おくのほそ道」には、新潟でのエピソードがあります。
「市振の関」という場所でして、新潟県糸魚川市です。
糸魚川周辺は「ヒスイ(深緑の半透明な宝石)」の名所です。


宿泊した宿で、遊女2人と出会います。
伊勢参宮へを旅する途中です。
伊勢参りする人が多かった時代。
遊女は、奉公人が無断で抜け出し伊勢参りをする「抜け参り」だったようです(店にとっても功徳になるので黙認されている)。


遊女たちは、毎夜、知らない男に体をもてあそばれる己の人生をなげきます。


遊女たちは、松尾芭蕉にお願いしました。
遠巻きでいいから、伊勢までついていってよいでしょうかと。


松尾芭蕉は断ります。
自分はあちこち立ち寄っての旅なので、遅くなってしまうから。
街道沿いは伊勢へ多くの人が向かっているから、その方角へ行けば着く。
神も仏も守ってくれますと伝えました。


そう言って別れたものの、どこか心に引っかかって、哀れみがこみ上げるというお話しです。


この遊女と出会うエピソードは創作だそうです。
とはいえ、新潟のお話しがあるのは嬉しいものです。

Posted by kanzaki at 2016年03月12日 12:21