2004年02月01日

世界の中心で、愛をさけぶ

片山恭一さんの「世界の中心で、愛をさけぶ」という小説がミリオンセラーになりました。
そして今度、映画化されるそうです(5月8日公開)。
主演は柴咲コウさん、大沢たかおさん。
大沢さんは、ここのところ、いろんな映画に出まくっていますね。

この小説を買って読んでみました。
この小説を毛嫌いしている人の殆どは、タイトルで先入観を持った人だと思います(特に、SF好きの人)。
一度、そういう感情を持つと、なかなか真正面から受け止められないですからね。
このタイトルから、ハーラン・エリスン作の「世界の中心で愛を叫んだケモノ」を思い出す人もいるでしょう。
そして、アニメ エヴァンゲリオンの最終話のタイトルを思い浮かべる人もいるでしょう。
最初、この小説は「恋するソクラテス」というタイトルだったそうです。
それでは売れないからと、編集者が今のタイトルにしたとか。
まあ編集者の目論見は、見事なまでに当たったわけでして。

映画化することを知り、本を読むまで、この小説の概要すら知りませんでした。
映画の主演は柴咲コウさん、大沢たかおさんなのだから、てっきり、大人のラブストーリーだと勘違いしていました。
そうしたら、高校生同士の淡い恋物語だったんですね。
小説では、大人になってからのエピソードは、ほんの少しだけです。
映画版は、大人の部分を大幅に加筆したものになるんでしょうね。
主人公の大人の時代・子供の時代が交錯してストーリーが進むお話しというと、私の中では、岩井俊二監督の「ラブレター」を思い出します。
「世界の中心で〜」の方が、もう少し、性とかエロとかが加味されています。
その分、激しくも哀しい内容な訳ですが……。
主人公は、どことなく哲学者っぽい感じの子ですよね。
あまり熱さとか、燃えるという心は無く、やけに冷静で、そしてすんなりと愛を語ります。
頭の中で、愛を理論的に考えを巡らすだけ巡らし、自分の中で答えが見つかってから、口では「好きだ」とだけ言ってしまうから、聞いた方はそのストレートさに驚くのだと思います。
主人公の彼女は重い病気です。
じょじょに死へと向かっていく訳ですが、美少女と病気・白い包帯・赤い血の組み合わせというのは王道かつエロスを漂わせていますね。
主人公が彼女と、海の孤島にある廃墟となったレジャーランドを一泊する場面は、かなりエロいです。
直接的性描写はないのですが、水着だけになった肌と肌が接近するだけで、お互いの体温を感じ取りあえる雰囲気があります。
主人公は男ですからね。
セックスとかそういうのを期待する訳ですよ。
けれど、なかなか進まない。
進まない中で、「まあ、それでもいいや。彼女といられるならば」と思える。
そういう雰囲気って好きです。

主人公のおじいちゃんも好きです。
両親よりも主人公の事を同じ視線で考えてくれるんです。
結婚する事が出来なかった彼女の墓から、主人公と一緒に遺骨の灰を盗んでしまったりします。
これが、後に複線になる訳ですが……。
人は死ぬと、焼かれて灰になります。
もう人間の形はありません。
けれど、その灰を手にした時、生きていた時を知っている人は、この灰を「人間」として受け止めます。
その「灰」を人と見るか、ただの灰と見るか。
そして、いつの時点で、冷静にその灰を見ることが出来るのか。
映画版は、大人になってからの主人公の、その心の動きに期待しています。

最近、韓国のドラマが流行っていますよね。
10年ぐらい前に、日本で流行っていた恋愛中心のお話しです。
今の日本のドラマは、主人公の職場での活躍に+αで恋愛が加味される感じになっています。
恋愛は二の次。
だから、韓国のドラマが新鮮に見えたのでしょう。
日本で恋愛中心の話しを成り立たせるには、学生時代の恋愛の方が良いのかもしれません。
恋愛が中心のお話し。
こういうのも、たまにはいいものです。

Posted by kanzaki at 2004年02月01日 09:50 | トラックバック (0)