2024年06月30日

現代のマンションは死が想定されていないつくり

sumaitosi.JPG

●『真面目に生きると損をする (角川新書)』(池田 清彦 著)より


原因の一つは、人が自宅で死ななくなったことだ。
昔の人は自宅で、家族に看取られながら死んだ。
家族の中には小さな子供もいたに違いない。
今は、祖父母の臨終に孫を立ち合わせない親も増えた。
死は隠蔽すべき忌まわしい出来事で、なるべく考えないようにしましょうということなのだ。


ーーーーーーーーーーー


養老、隈の対談本で、隈研吾が


「20世紀の経済成長時代に建てられたマンションって、死が想定されていないつくりなんですよね」


と発言していて、なるほどねと思った。
この頃から、都市に住む若い世代の人々の間では、死はこの世の出来事ではなく、あの世の出来事になってしまったのである。


ーーーーーーーーーーー


【コメント】


自宅ではなく、セレモニーホールでお葬式をするのが当たり前になりました。
火葬場で簡単に済ませることも珍しくありません。


この30年でそのように変わったのだから、ここから30年後なんてもっと変わっているでしょう。
若い人がいない、働き手がいないのですから。
都心はお墓もなくなっているかも。


家族、親戚づきあいも希薄になった。
寿命はのびたけれど、超高齢になると身体的理由で出かけるのも難しいし、それ故、人付き合いも減る。
お見送りする人がいなくなるということ。


結婚しないで一人暮らしならば、住まいは簡素でいい。
モノも少ないでしょう(片付けできない人はゴミ屋敷になっているでしょうが)。
仏壇も無いでしょう。
故人を思い出せるものはスマホの中の画像や動画。
どんどん、「死」という概念が住まいから消えていく。
そして、最後に自分が消える。
そういうのが当たり前になるのかな。


働き方の中でも「死」という概念が薄れています。
大昔は定年が55歳でした。
今は、60歳定年が65歳定年に移行中です。
そんな中でも70歳まで雇用延長している人が多くなりました。
定年で老後をのんびり過ごすという概念もなくなりつつあります。
一生現役です。


どんどん、死に対する捉え方が変わっていく。
あなたの考えは変わってきていますか?

Posted by kanzaki at 2024年06月30日 07:20