2016年06月06日

独り身で老いて生きる最中、「末期がん」で、「余命3年、抗がん剤で治療しなければ1年」と宣告されたらどうしますか?

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(新潟日報、連載1回目)

年老いて独りで生きるのは、まあ分かる。イメージもつく。


しかし、独り身で老いて生きる最中、「末期がん」で、「余命3年、抗がん剤で治療しなければ1年」と宣告されたらどうしますか?


もし自分がそう宣告されたらと想像したら、ものすごい寒気がしました。


上記の記事で紹介されている人は本当にすごいと思いました。
まだ1回目の記事だから、具体的な行動は書かれていません。
しかし、限られた時間内で、「どう生きたいか」を明確にイメージし、実行したというだけですごいと感じるのです。


だって、「どう生きたいか」と聞かれて、行動に直結する答えを言える人は、そうそういませんもの。



【定年後のリアル】


「定年後のリアル(著:勢古浩爾)」という本があります。


著者の定年後の心境を綴った本です。
割りかし達観しており、ブッダの考え・仏教の考えに通ずると感じました。
(ブッダは実は、相当にクールな人物なのです)


・立場がなくなるということが、これほどまで自由だと知らなかった。
気位も利己心も無作法も昔のままという爺さん婆さんほど醜い生き物もない。
老後を生きる人間は、今日一日よければ、それでいい。
何でも最低の条件と比較する。
余計な考えや自我、争いは捨て、外の静かな空気を吸えればいい。


・私が死んでも、一つの命が消えていくだけ。
私にとっては大したことでも、世界にとってはまったく大したことではない。
この世は常に生きている者たちのもの。


最近、若い人の間で、「断捨離」とか「ミニマリスト」とかもてはやされています。
「さとり世代」なんて言葉もあります。
日々、心をフラットにして生きるのを良しとしています。


しかし、そういう日々を過ごしてきた人が、ひとたび冒頭のような「死の宣告」を受けた時、果たして心穏やかにできるでしょうか。
大抵は、無理なんじゃないかなと。
そこまで達観できていないからです。


「どう生きたいか」と考えるより、「逃げたい」「健康な人への嫉妬」で暴れてしまうかもしれません。


現在、1人暮らしの65歳以上は、全国で約600万人。
冒頭の記事は、誰にでもありえるお話し。
我々も将来、起こりえる話し。
この連載記事を読んで、自分の心に問いかけてみようと思います。

Posted by kanzaki at 2016年06月06日 22:28