「評論の神様」と呼ばれた小林秀雄。
彼の短編「無私の精神」にて、「有能な実業家」を紹介しています。
・無口、意見を言わない、議論を好まない、典型的な実行家。
・無口な彼には2つの口癖があった。
一つは「御尤も(ごもっとも)」。
一つは「御覧の通り」。
・他人の主張には反対せず、聞き終えると「御尤も(ごもっとも)」と言った。
自分の事は弁解をせず、「御覧の通り」と言った。
彼の友人は、この言葉に手も足も出ないと言う。
人を説得するのに、「御尤も(ごもっとも)」と「御覧の通り」のふた言あれば足りたのだ。
・実行家として成功する人には、一種の「無私」がある。
有能な実行家は、いつも自己主張より、物の動きの方を尊重している。
現実の新しい動きが看破されれば、直ちに古い解釈や知識を捨てる用意のある人。
物の動きに順じて、自己を日に新たにするとは一種の無私である。
・まずはよく聞き「御尤も(ごもっとも)」と素直に受け止めるのが正しい。
自分の行動を評論された時も、「御覧の通り」と言って、他人の見方と自意識の偏見の差を確認した方が有効である。
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無私(むし)とは、私心・我利・我欲・エゴなどの「自分のため」といった感情がない状態のこと。
日本の禅も、この無私の境地の訓練方法の一つです。
きっと、感情の起伏の激しい人、すぐ怒る人というのは、この精神が欠けているのではないでしょうか。
私も反省しなければいけない・・・。
ビジネスパーソンの間で、「アンガーマネジメント」が注目されて久しいです。
怒りを予防し、制御するための心理療法プログラムです。
おそらく昔の仏教では、それを座禅によって学んだのではないかと思います。
そうやって精神を穏やかにした終着駅は、無私なのかもしれません。
今、大河ドラマのおかげで注目の西郷隆盛。
彼の言葉に、このようなものがあります。
「金もいらない、名もいらない、命もいらないという奴ほど、始末に負えない者はない。
しかし、始末に負えない者でなければ、国家の大事を任せるわけにはいかない」
私利私欲を捨て、大義のために生きる人は、無私の精神が必要なのでしょうね。
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「無私の精神」を習得するのは難しそうです。
多分、「無関心」とは違うのでしょうね。
しかし私は最近、いろんなことに無関心になっています。
あまり良いことでは無いのかもしれませんが・・・。
しかし、嫌な人間に腹をたてるぐらいなら、その人に執着せずに無関心を決め込む。
案外、無関心になった方が、その人と仕事などでやり取りする際も、変な衝突もなくスムーズに事が運びます。
振り回す人、利用しようとしてくる人が誰なのかも、分かるようになってきました。
自分から回避しています。
無関心も、うまい方向へ進めば、無私につながるのかもしれないと感じています。
最初から、崇高なことなんて出来ませんから、こういうやり方からはじめています。
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