不安なときこそ行動してみる
●『自分をどう元気づけるか (ディスカヴァーebook選書)』(和田秀樹 著)より
落ち込んだり、心配したり、恐れたりするのはだれだってイヤだし、嫉妬や屈辱感、罪悪感といった感情もすべて不快なものです。
いくら受け入れようといわれても、悩みや不安がイヤな感情であるかぎり、そこから抜け出したいのは当然のことです。
でもそれができないから、わたしたちは苦しみます。
そのときどうか、行動ということばを思い出してください。
動くことです。
仕事をする、家事や作業をする、買い物に出かけたり雑用を片づけたり、あるいは散歩でも運動でも電車で郊外に出かけることでもいいのです。
とにかく行動してみることです。
どんなにイヤな感情に包まれていても、行動することはできます。
仕事で人と会わなければいけないのでしたら、悩みや不安があっても、あるいはその人と会うのが怖いとか恥ずかしいという気持ちがあっても、とにかく会わなければいけません。
それが自分の責任だからです。
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つまり仕事や人間関係の悩みは、基本的にそのなかで乗り越えていくしかありません。
だとすればまず、自分の行動に責任をもつことです。
悩みや不安があっても、それは責任のない感情なのですから考えても始まりません。
いますぐどうこうできるものではないのですから、悩んだままでも不安なままでもひとつひとつの仕事を片づけ、役割を果たしていくしかないし、それさえ実行できればなにも問題がないことに気づきます。
「悩んでもこうしてやっていけるんだから、ジタバタすることはないんだ」
「不安はあるけど、やればなんとかなるじゃないか」
そう思えたときには、悩みも不安もずいぶん小さくなっているはずです。
だから「こころの健康法」といっても、とくべつなことはなにもありません。
動くことを優先させるだけで、身体を動かせばだれにでもできることなのです。
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感情はどうでしょうか?
悩みや不安といったイヤな感情でも、こころの自然な反応です。
その人が悪いとか、弱虫だとか、そんなことではありません。
つまり、自分の感情に責任をもつ必要はないのです。
それに対して行動にはなにかしらの責任が伴います。
たとえば苦手な仕事をやる場合でも、「うまくいくかなあ」と不安になるのは仕方がないことです。
でも、投げ出すわけにはいきませんね。
不安を感じながらも取りかかるはずです。
取りかかれば最後までやり通す責任が生まれます。
不安になろうが、恥ずかしい気持ちになろうが、とにかくやり遂げなければいけません。
そうやって苦手な仕事が1つ終わるとどうなるでしょうか。
不安とか恥ずかしさはもう、消えていますね。
少なくとも、取りかかる前よりは小さくなっているはずです。
つまり、自分が責任をもたなければいけないことさえしっかりやればいいのです。
感情の反応にはなんの責任もないのですから、あるがままに受け入れるしかないのです。
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師走の忙しさに心身(特に心)がまいっていたので、上記の言葉に救われます。
「しのごのいわず、まずは行動をしろ」
かなり荒っぽい感じですが、実際はそれしかないですよね。
行動すれば、誰にでも目に見える形で状況が変化します。
なんにも手を付けない状況より前進しますよね。
それは分かっており、否定しようがない。
けれど、いつもウジウジしてしまいます。
この年齢になっても!
最近、気づいたのですが、同じ状況下に置かれても、耐えられる時とそうでない時があります。
睡眠時間が7時間を切ると、イライラしたり、耐性が低くなっているように思います。
すさまじく単純な原因なのですが、案外、そういうものかもしれません。
Posted by kanzaki at 2021年12月22日 07:01