●『ソロー流究極のシンプルライフ』(毛利 律子 著)より
私は私なりに好みがある。
特に自由を大事にしていて、不便な生活をしても辛いと思わないし、結構うまくやっていけるので、自分の時間を犠牲にしてまで、豪華な家具や立派なカーペット、ギリシャ的、ゴシック的といったものを使いたいとは思わなかった。
そういうものは、その使い方を知っている人に任せておこう。
私はシンプルに賢く生きさえすれば、ちっとも辛く不自由なことはなく、それどころか、そういう簡素な生活にこそ、たくさんの娯楽が混じっていることを悟ったのである。
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【コメント】
私はどうやら高級なものとかは不要らしい。
高級なものを使っていると、どうにもおっかなびっくりになってしまい、使いこなせないのです。
結局、もう一つサブ機と称して安いものを買い、そちらばかりを日常使いにしてしまうのです。
高級なものほど使う頻度が低くて、タンスの肥やしとなってしまうのです。
高級なものは、メンテナンス・オーバーホールが大前提。
きちんとそこが分かっていれば、一生物とも言えます。
しかし、そういったことを怠っているとすぐ駄目になってしまう。
高級なものは、高級なものを維持管理できる人でないと意味がありません。
極端に安い粗悪品は論外ですが、身の丈に合ったものを慎ましく使用しているのが一番だと思っています。
それを使い込んで駄目になったら、感謝して潔く捨てて、新しいものを買う(当然、新しいものも身の丈に合ったもの)。
私はそれで良いのです。
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