2004年05月18日

庵野秀明 in トップランナー【2】

前回の続き。

本上「あのう・・・、アニメーターという形で活動を始められてから、20年以上経つそうですね。監督作品だけでも数十本ということで、凄い数だと思うんですが・・・アニメーターとか、原画マン、また監督・・・(プロフィールを見ながら)あと作画監督とか、いろいろな細分化されているようなんですけれども」

庵野「ええ。アニメの造り方っていうのは、日本では完璧に分業なんですよ。キャラクターデザインをやっている人が、その元になる絵を決めて、その元になる絵を見ながら、・・・えっと、絵コンテというものが存在して・・・絵コンテというのは、全体の設計図なんです。アニメーターというのは原画マンとか動画マンをまとめた云い方だと思うんですけれど、今は原画と動画というシステムが、アニメーターの中でも分かれていて、キーになる絵をこういう絵(両手を上に広げて見せる)とこういう絵(今度はお経を読むような感じに手を合わせる)、この2枚の絵を描いて、その中に何枚の絵、何コマ入るか描くのを指定するのが原画マンなんですよ。その間に実際にここと、ここと、ここの絵(手を閉じている状態と広げた状態の中間点の各絵を身体で表現)を描くのが動画マンですね。ここ(両手を上に広げて見せる)と、ここ(今度はお経を読むような感じに手を合わせる)の絵というのはラフに描いて、それをクリンナップする。基本的にはそういうシステムなんですね。その後はそれに色を付けて、別のところで背景を描いて、それらを今はコンピュータで全部一緒にして画面にすると云う・・・」

武田「アニメーター時代の庵野さんは、カリスマと呼ばれるほど評価が高かったんですって?」

庵野「当時、カリスマという言葉は無かったと思うんですけれど・・・」

客席から軽い笑い。

庵野「アニメーターとしての自分は、凄く偏っていたんですね。あの〜、メカ・・・ロボットとか飛行機とか、そういう機械のものと、後はそれが爆発したりとか、そういうメカとエフェクト"しか"やらなかったんですね。そこしかやってないんですね。凄く偏ったアニメーターだったと思います。アニメーターは万能な方が良いんですけれど、メカも描けるし、キャラも描けるし・・・いろんなものが描けるのが一番の理想だと思うんです。僕は、人間とか全然描けなかったんで、下手なんですよ。メカだけは形になっていたんで、でもそこしかやらないと云う事は、そこだけはそれだけの価値がある絵にしとかないといけない・・・そこだけは、ちょっと頑張ってましたね」

武田「アニメーター時代というのは、何に駆り立てられて作業をしていたと思います? とても地味というか、根気のいる作業だったと思うんですよ」

庵野「画面を見るのが面白かったんだと思いますよ」

武田「出来上がったものが?」

庵野「自分のカットがちゃんと出来ていると嬉しいし、思った通りになっていると嬉しいですね。長いときは、1カットで2週間とかかかっちゃうんで。2週間かけて3秒とか、そういう世界なんですよ。それには、動画の人とか、色を塗ってくれる人とか、撮影してくれる人とか、自分の作業の後もいろんな人の手が入って、フィルムになっているんで、そのフィルムになった時に"失敗した〜"っていうのが全部、自分に返ってきちゃうんですね。できるだけそれが無く、他の人も"動画をやって良かった"とか、"色を塗って良かった"とか・・・色は当時、ビンに筆を付けて、一枚一枚塗るという、とても大変な手間のかかることをやっていたんで、その人が、"こんなカット、やらなきゃ良かった"と思われないようにしたいというやつですね。失敗した時には、凄い落ち込んでましたね。"ナウシカの巨神兵"って有名になっちゃってたんですけれど、僕の中では失敗なんですね。本当に申し訳ないです」

本上「あれ?」

画面は、1984年作「風の谷のナウシカ」。
身体がドロドロの巨神兵が立ち上がろうとしている名シーン。
「腐ってやがる・・・」という例の場面ですね。

ナレーション「84年に公開された宮崎駿監督の"風の谷のナウシカ"。この作品で庵野さんが描いた巨神兵は、多くのアニメファンに衝撃を与えました」

武田「あれ、失敗ですか?」

庵野「失敗です。細かいことですけれど、原画と原画の間に、動画が3コマで5枚なんですよ。これ、宮さん(宮崎駿監督)の指示で、"これ中5(なかご)でいい"と云うんで、素直に中5にしたんですけど。あの時なんで抵抗して、中7(なかなな)にしなかったんだろう・・・今も悔しいですね。枚数増えて大変なのは分かっても、ありゃ溶けるのが早すぎますね」

本上「もうちょっと、こう・・・」

庵野「もう2枚、間にもう6コマあれば良かったんです。あれは今でも悔しいですね。中7にした方が絶対に良かった。あのラッシュ見たとき、死にたくなってました」

会場、笑い。

庵野「もう失敗した〜って。他の人が褒めてくれる分、辛かったですね。もっと良くなったのに。あれから、宮さんの云う事を聞かなくなったんです」

会場、更に笑い。
武田君も吹き出します。

庵野「宮さんの中では、中5だったと思うんですけれど、僕は中7の方が良かったんですね」

今日はここまで。
庵野さんの「こだわり」が垣間見れたような発言でしたね。

それでは、また次回へ。

Posted by kanzaki at 2004年05月18日 07:00