2004年10月25日

新潟県中越地震の惨状

新潟県中越地震により、当社の長岡支店が壊れてしまいました。
また、家の片付けの為に出社できない従業員多数。
そんな訳で本日、本社の人間のうち約20名以上が現地の手伝いに出かけました。

朝7時に会社へ集合し、何台かの自動車に分乗して出発。
高速道路が使えないので、下道で向かいます。

出勤時間、被災復興関係等、いろんな要素によって道路は渋滞。
なかなか進みません。
新潟の人間にしか分からない裏道等(新幹線下や農道)を通ったりして、何とか目的地へ向かいます。

途中、新幹線が止まっているのを発見。
今朝も大きな地震があったせいでしょうか?
外観は壊れていないようです。
実はこれだけでなく、長岡に現地入りしてから、テレビ等で報道されている、斜めに脱線した新幹線も遠目ではありますが見る事が出来ました。
新幹線が斜めになっていると云う、絶対にあり得ない状況。
その光景は遠かったので写真は撮影していません・・・というか、恐怖を感じてシャッターが切れませんでした。

橋を渡ろうとしたら、封鎖されていました。
その為、回り道を余儀なくされて、現地到着時刻は遅れるばかり・・・。

現地に近づくにつれ、陥没したり、ヒビが入っている道路をたくさん目撃しました。
そして、倒壊した家、お墓等も・・・。
早朝より、壊れた道路の復旧作業が行われ、至る所が通行禁止、片側通行になっていました。
まだ修理していない道路の上を通ると、段差から来る衝撃を身体で感じました。
当分の間、この一帯の道路は、一定の速度で走り続けることは不可能です。

「復興応援」と云う旗を取り付けた工事車両を多く見かけました。
断線した電線の復旧等の為、秋田や長野ナンバーの車両が駆けつけています。

10時前に、ようやく支店へ到着。
まずは支店の中を視察したのですが、とても酷い事になっていました。
まず、停電の為に電気製品は一切使用できません。
電話機は、電気が無いので交換機が動かず、停電用電話のみ作動。
従業員も多くが出社していませんでした(家の方が大変だから)。
建物の2、3階は、強い地震によって壁や天井が破壊され、家具や備品も倒れて散乱していました。

片付けをしようにも、何から手を付けたら良いか分からない状況。
倒れた家具、備品を元の位置に直し、散乱した小間物を片付けましたが、とても一日では無理。
とくに3階は、いつ倒壊してもおかしくない状況なので、あまり手を付けられませんでした。
昨日のうちに建設業者へ修理依頼をしましたが、当分は修理できないそうです。
現地の職人は、まず公共施設の修理を最優先で行わなければいけない為、人手が回せないのだそうです。
この様子だと、一般家庭の建物の修理が実施されるのは、当分先になりそうです。
仕方が無い事とは云えこの現状を見て、自分で何も出来ない事に憤りを感じました。
支店にある商品を車に乗せ、お客様へ届けに行きました。
初めての土地なので、支店の人に地図を書いてもらいながらの運転。
走行中、辺りを見まわすと、古い建物ほど壊れ方が酷いことになっており、お店等では、当社のように電気が使えない所もありました。
配達に行ったのですが、多くのお店が、臨時休業していました。
工場等は、従業員が出社できていないそうです。
1週間ぐらいは、仕事が始められないと嘆いていた方もいました。

いろいろな場所へ配達に行き、ようやくひと段落。
支店の方から、お弁当と温かい味噌汁をいただきました。
現地では、食べ物や飲み物に苦労している方も多いというのに、わさわざ私達の為に用意してくださり、心底感謝しました。
当然、魚のフライの尻尾すら全て食べ切りました。
私の近くに、従業員のお子さんが二人、静かに遊んでいました。
自宅に子供を残していたら、それこそ危険なので、職場に連れてきたそうです。
自然災害とはいえ、どうして幼い子供達までが、こんな苦労をしなければいけないのでしょうか。
理不尽とは、こういう事を云うのではないでしょうか。
神とか仏とか、そういうのは信じない人間なのですが、こういう状況を見てしまうと、ますます信じられなくなってきます。
そして、人間を救えるのは人間なんだと思いました。

午後も仕事のお手伝いをして、私達は帰ることになりました。
まだ仕事を続けたいところですが、明るいうちに新潟市へ戻らないと、冒頭で紹介しました写真のような危険な道路を真っ暗闇の中、走行しないといけないからです。
これから連日、毎日交代で本社の人間が応援に来るので、とりあえず私達は帰りました。

帰り道、トイレを借りにコンビニへ寄ったのですが、食料品が殆ど入っていませんでした。
しばらくは、このような状況が続くみたいです。

日中もそうでしたが、至る所でパトカーが走行したり、交通誘導する警察官を見かけました。
新潟以外からも応援に来ているようです。
そして、相変わらず一日中、空をヘリコプターが飛び交っており、耳にその音がこびり付きます。

帰宅して、怪我や事故に遭わなかった事にほっとしています。
しかし、現地の方々は、今も戦っています。この寒い中・・・。
これから何度でも現地へ行き、復興の協力をしたいと思います。


・・・・心に突き刺さる現場を見てばかりで、辛くなってきました。
そんな中、モーヲタの私にとって、少しだけ安堵のひと時がありました。

モーニング娘。のメンバーに、小川真琴さんがいます。
彼女は新潟の出身(柏崎の方面)。
彼女がモー娘。に入る前、新潟で活動していた時のポスターです。
確か、「シングナル5」とかいうユニットで、交通安全とかを伝えていました。
彼女もこの震災に、少なからず思う事はあるでしょう。
来年、新潟でコンサートを行い、地元のみんなに笑顔を振り撒いてほしいものです。

Posted by kanzaki at 2004年10月25日 22:47 | トラックバック (4)
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