昨日、ドラマスペシャル「さよなら、小津先生」を放送していました。
私は以前放映された、このドラマのテレビシリーズを観ていません。
けれど、かなり評判が良かった事と、脚本家が君塚良一さん(踊る大捜査線)という事で気にはなっていました。
そんな私がスペシャルを観た理由は単純に、上野樹里さんが出ていたからでして・・・。
上野樹里-AMUSE
http://www.amuse.co.jp/artist/Juri_Ueno/profile.html
「てるてる家族」の時から応援していますが、髪が短くなったら、なんとなく全盛期の広末涼子さんに似た感じがありますね。
そういや、どちらも「クレアラシル」のCM出演という共通項がありました。
そして、話しの中心人物である生徒役は、森田彩華さん。
森田彩華-オスカー
http://www.oscarpro.co.jp/profile/morita/
同じ事務所の上戸彩さんに続く、注目株。
昔の深田恭子さん(「神様、もう少しだけ」に出ていた頃)に似た雰囲気があります。
とまあ、アイドルヲタな話しを続けている場合じゃないですね。
例年、君塚さん脚本のスペシャルドラマと云いますと、「TEAMスペシャル」をやっていました。
ところが今年、主人公を演じていた草薙くんは、本日放送の「海峡を渡るバイオリン」等の仕事の為に撮影が出来なかったらしい。
そこで、「さよなら、小津先生」に白羽の矢が向けられました。
「TEAM」は少年犯罪という観点から若い子達を描いていたのですが、「さよなら、小津先生」は学校という舞台で若い子達を描きます。
未成年の心情を描くという点では共通項がありますし、なによりも「さよなら、小津先生」ファンにとって、この復活は嬉しい事でしょう。
今回のスペシャルは、テレビシリーズの同窓会みたいな感じじゃ無かったのが、私にとって嬉しかったです。
何せ、テレビシリーズは観ていませんから。
そんな私でも、すんなりとこの世界に入れたのは良かったです。
今回の中心となるお話は、Neglect(ネグレクト・養育放棄)・・・つまり児童虐待です。
ネグレクトとは、遺棄、衣食住や清潔さについての健康状態を損なう放置(栄養不良、極端な不潔、怠慢ないし拒否による病気の発生、学校へ行かせない、など)をいう。
−児童虐待調査研究会(1985年)による児童虐待の定義より−
子どもの食事を満足に与えない
子どもが重度の病気やけがの時にあえて病院に連れて行かない
育児が必要な乳幼児を家に残したまま度々外出する
子どもの意思に反して学校等に登校(園)させない
子どもに長期間入浴させなかったり、下着など長期間不潔なままにしておくこと
乳幼児を車に放置する
森田彩華さんが演じた女子高生は、小さい頃から、両親に家庭内で無視され続けてきました。
親は全く、自分の娘に関心がありません。
小津先生が家庭訪問した際、彼はリビングで違和感を感じました。
歯ブラシは夫婦のものしかない。
洗濯物が干されているけれど、娘のものはない。
とにかくこの空間から、娘に結びつくものがないのです。
母親は、自分の娘に挨拶されても無視する。
昼食は500円玉を机の上に置き、それで食事を済まさせようとする(食事を作ってやらない)。
その無視され続ける事に苦しみ、娘は自分の手首を切って自殺未遂までしてしまいます。
そんな生活環境の中にいた娘は、学校をやめて一人で生活しようとします。
(小津先生たちのお陰で、それは回避されました)
どうして彼女は、両親から無視され続けていたのか?
それは娘の父が昔、不倫をした事が起因です。
妻は夫の不倫相手に、自分の娘と同じぐらいの子がいる事を知りました。
そこで、夫の不倫への憎しみ、辛さを自分の娘にぶつけていたのです。
いつしか夫までもが同調し、家庭内で娘は無視されるようになったのです。
ネグレクト・養育放棄の原因がようやく分かり、母と娘は理解しあい、母と娘の二人で生活するようになったのでした。
森田彩華さんが演じる生徒は小津先生に、「どうして自分が無視され続けるのか?」を相談しました。
その時の回想シーンにて、小さい頃、親がパチンコをしている間、車の中に閉じ込められている場面は、見ていて辛かったです。
先日、「親と子について」という記事を書きました。
参照記事:親と子について
http://kanzaki.sub.jp/archives/000459.html
その時の記事は、子供の視線から親を見た観点。
今回は、その逆。
親から子供へ視線を向けるという観点です。
ドラマの中で、自分の娘を無視し続ける両親を演じていた人たちの演技は凄かったです。
本当、冷徹で娘には無表情。
感情というものを出さない演技でして、私は背筋が凍るような恐怖を感じました。
人間は攻撃されたりする事よりも、無視される事の方が怖いと感じるのではないでしょうか。
攻撃(言葉や物理的なもの)は、少なくとも相手は、自分を眼中に入れてくれます。
そして、何かしらの感情を抱いて、そのような行動に出ます。
しかし、「無視」は違います。
相手は自分を眼中に入れてくれないのです。
存在そのものの否定。
眼中に入れてくれなければ、お互いが分かり合う場が作られる事はありません。
接点が無ければ、関係が修復される事は無いのです。
「雑踏の中で孤独を感じる」事ってありますよね?
周りにはたくさん人がいるのに、自分の存在を眼中に入れてくれる人がいない状態。
部屋の中で一人っきりでいるよりも、物凄い恐怖・孤独感を感じます。
自分から一人になる・・・たとえば、「引きこもる」というのは、「雑踏の中で孤独を感じる」事を回避する為の自衛手段の一つなのかもしれません。
無視されるぐらいならば、自ら周りと関係を断つという行為。
社会との接点で「無視される」のは、まだいい方です。
自宅なり友達なり、はたまたお気に入りの場所、趣味があれば回避できるのですから。
しかし、家庭内で無視されたら、どこにも安住の地が無くなります。
「さよなら、小津先生」の中で養育放棄をする両親は、「私達は放任主義なのです」と自分達を正当化しようとします。
子供が家庭内暴力・・・そこまで行かなくても親へ反発するのは、それを受け止めてくれる人がいるからこそです。
そして、反抗期というものがあるからこそ、大人への人格形成が出来るのです。
人格形成の時期、親に無視されたら、本当に辛いと思います。
自分の感情を受け止めてくれる人がいなくなった時、人の心はもろく崩れやすくなってしまいます。
それは10代に限った事ではありません。
老人になり、病気で妻に先立たれた夫が、急に元気が無くなって体調を崩したり、痴呆になる事がありますよね。
やはり人間は、一人では生きて行けない生き物なのでしょう。
精神的に受け止めてくれる人がいないと生きる事が出来ない。
地球上で一番発達した脳を持つ人類は、地球上で一番強いように思えるけれど、実は精神が発達しているが故に、最も弱い生き物なのかもしれません。
私は学校の先生でもなければ医者でもありません。
ましてや子供もいません。
そんな自分がもし、ネグレクトの環境にいる人を救うとしたら、どういうアドバイスが出来るのだろう・・・。
分からない。
どう云ってあげられるだろう。
つい最近、公共広告機構かなんかのCMで、幼児虐待に進んでしまう親御さんへのメッセージとして、「自分の子供を抱いてあげてみてください」と訴えるものがありましたよね。
上手く口で伝えられなければ、抱くという行為から始めて欲しい。
身体から身体へ伝わる何かが、感情を開いてくれるからでしょう。
そういえば私が中学三年生の頃、第一志望の高校受験に失敗した思い出があります。
合格発表で不合格となり、静かに家へ帰りました。
何だか、ぼーとしてしまい、特に何もやる気も無い状態。
手持ち無沙汰だからでしょうか、テレビゲームをやろうとしました。
やりたくて、やった訳ではありません。
ゲーム機をテレビに繋く作業をしている所に母親が帰宅し、私に合否を問いました。
私は目も合わさずそっけない態度では不合格を伝え、そのままゲーム機の接続作業をしていました。
そうしたら母親が何も云わずに私を背中から抱いてくれました。
それまで、呆然として、地に足の着かないような心だったのですが、なんとなく自然に心が落ち着いていったのを覚えています。
昔から精神的にもろい人間なのですが、落ち着きを取り戻し、数日後の第二志望の受験に合格できました。
10代の頃の記憶なんて、殆ど残っていないのですが、背中から抱いてくれた記憶だけは、何故か今でも覚えています。
「抱く」という行為は、凝った台詞なんかよりも、とても不思議な力があるような気がします。
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