2005年01月29日

細川茂樹さん in 徹子の部屋【2】

前回の続き。
今回は遂に、仮面ライダーの事も話題に出てきますよ。
めちゃくちゃ長いですが、ご覧ください。

前回の記事:細川茂樹さん in 徹子の部屋【1】
http://kanzaki.sub.jp/archives/000553.html

細川
「”やっていけるかな”と云うよりも、自分の中で普通の同級生とは違うのって考えた時、僕はノンノボーイフレンドを足がかりにやりはじめたんで、これで自分の興味のあるものをあらってみようかなと思ったんですね。
ちょうど就職活動の時とダブりまして・・・」

徹子
「大変だったでしょ? その頃の就職と云うと」

細川
「ちょうどバブルが終わりまして、就職難のはじまりの時ですよね。
僕の年代って云うのは、受験も大変だったですし、それから就職も大変だったと云う、本当にいい事がないみたいな年代だったんでね(笑)
よくよく考えてみれば、まあ、教育実習にも行ったし・・・でも教育実習に行ってみて、僕には難しいかなあと感じまして。
でも就職すると云っても、これから先と云うのは、どういう風になっていくのかなと不安もありまして、だったら、そんな不安な中だったら、お芝居に興味があるんで、まっ、とりあえず5ケ年計画で東京に行って・・・」

徹子
「・・・やってみようかと思ったんですけれど、ノンノの編集部に”仕事ありませんかね”と聞いたら、酷い事を云われたんですって?(笑)」

細川
「まあ酷い事だとは思うんですけれど、普通に考えたらね、僕の事を考えて云ってくれたと思ってますけれども。
まっ、”普通に就職したらいいんじゃない?”と云う事は、毎回云われました(笑)」

徹子
「”普通に就職した方がいい”とか、”芸能界は甘くない”とか云われたんですってね。
モデルになったぐらいで、なれるなよみたいな。
やめて就職しなさいと。
ただ、お父様は、”こんな世の中だから会社に入ったってどうなるか分からないから”って、分かってくださったんですって?」

細川
「そうですね。本当、父親も母親も、”こういう世の中だから、好きな事をとりあえずやってみたら?”って流してくれたんで、非常に良かったと思いますけれど」

徹子
「後から伺うんですけれど、これから新しい仕事として、”変身”をあなた、なさるんですよね?」

細川
「・・・(溜めて)やりますよ、はい!(笑)」

徹子
「普通、変身モノからドラマやなんかの俳優さんになる方は多いんですけれど、散々、ドラマをおやりになってから変身モノにお出になる方は少ないですけれども。
ちょっとその前にあなたがどういう経歴なのか、お伺いしているのですが、ちょっとコマーシャルがあって、その後、変身を引き受けるのにもちょっとお悩みがあったそうです。
一寸、コマーシャルを・・・」

細川
「はい」

CM明け。

徹子
「まあ大学の時、そうやって、ノンノボーイフレンドにおなりになって、それで大学はちゃんと卒業なさったんですってね?」

細川
「卒業はしました、はい」

徹子
「だから、学校の先生になろうかどうしようかと思ったけれど就職も大変で、まあ、5年計画と先ほどおっしゃいましたけれど、で、東京にいらっしゃって、俳優になろうと思ってからが氷河期・・・」

細川
「氷河期(笑)
本当、編集部の方が云ってらした事が、よく分かりましたね(笑)
本当あの、甘かったなあって。
まあ、短かかったとは思うんですけれど、相当、今となっては良く覚えてますね。
氷河期と云うか、うん・・・」

徹子
「そんな、ノンノボーイフレンドだったぐらいで、芸能界は甘くないからと就職しろと云われたんだけれど、この道に入って、アルバイトをやりながらオーディションを次々と・・・」

細川
「そうですね、はい」

徹子
「事務所みたいなものは見つけたんですよね、結局は」

細川
「はい」

徹子
「ただその、オーディションが大変なんですって?」

細川
「いやー本当にね、全然、受かんないですね。受かりませんでしたね。うーん」

徹子
「後で仕事が一杯来るようになっちゃうと、どうしてあの時は受からなかったと思ったでしょ?」

細川
「そうですね。まあ、いま思うと、結構プラス思考に考えられるようになっているんで、まあ、あん時はあん時で良かったのかなって思いますけれどね。
そん時は相当、悩んではいますけれど」

徹子
「でしょう? 受かる人は必ず一人はいるんですからね。
そういうオーディションを受けては落ちると云うような・・・でも通行人みたいなのはちょっとやって。
どんな通行人とかやったの?」

細川
「通行人・・・まあ一言台詞があるか無いかぐらいな・・・」

徹子
「テレビドラマ?」

細川
「テレビドラマでしたね、はい」

徹子
「でもまあ、そういうのをやってらして、アパートもだんだん壁の薄い所へ行って、全部隣の部屋の音が聞こえちゃうようなところにいた事もあるんですってね」

細川
「本当ね、みんなで住んでいるんじゃないかなって云うところにね(笑)
隣が聞こえるのは勿論ですけれど、例えば、カセット(レコーダー)のボタンをカチャと押した音が聞こえましたから」

徹子
「音楽が聞こえるとかじゃなくて、押した時の音が聞こえる(笑)」

細川
「生活音って云うんですか?(笑)」

徹子
「大勢で住んでいるような」

細川
「本当、そうですね」

徹子
「随分、貧困生活した人の話しを結構、あたしは聞いているけれど、それは凄いですよね」

細川
「はい」

徹子
「でもやっぱり、”いつかはやるぞ”と云う気持ちはありましたか?」

細川
「そうですね。やっぱり、あのー、こっからスタートするんだと。
こっから落ちぶれる事は考えませんでしたから。
それは夢いっぱいの毎日・・・」

徹子
「まだ若かったですからね」

細川
「うん」

徹子
「ま、20代前半、どこを移動するにも自転車?」

細川
「自転車でしたね。はい(笑)」

徹子
「お金を使わない方法は、よその家へ行く事なんだって?」

細川
「そうですね。人んちにいれば、基本的にお金が掛からないんでね、はい(笑)」

徹子
「ご飯なんか食べたりして。そういうところは分かるんですけれど、電気も使わないで済むって云うのはやっぱりね、なるほどと思いましたね。
だいたい、出かける時に全部、コンセントを抜いていくのは、それは良いと思いますよ。節電」

細川
「そうですね、うん」

徹子
「コンセント抜いて家を出る。よその家へ行くと、とうとうと電気がついているのね。自分とこのお金じゃないからって(笑)」

細川
「はい。だからやっぱりその、学生時代で一人暮らし、ようするに、仕事を見つけながらの一人暮らしと云うのは、大きな差がやっぱり出ましたね」

徹夜
「学生の時の一人暮らしは・・・」

細川
「ぬるま湯ですよね。スネをかじって、かじってみたいな(笑)」

徹子
「それで、”もうこれで最後にしようかな”ってオーディションがあったんですって?」

細川
「そうですね。5カ年計画とは云っていたんですけれど、やっぱりそんなに精神状態も持つもんじゃなかったですから・・・3年目でしたね。
その3年目に”うん。もう、とっとと切り上げよう”と。
こんなオーデションも受からなかったしと云う事で」

徹子
「内田有紀さんの相手役みたいな・・・」

注:多分、TBSドラマ「キャンパス・ノート(1996年作)」の事だと思う(違っていたら教えてください)。

キャンパス・ノート
http://www31.ocn.ne.jp/~danran/dorama/campusnote.htm

スカパーで放送中
http://www.tbs.co.jp/tbs-ch/lineup/d0613.html

細川
「はい、そうですね。それのオーディションが、一つの転機になりましたね」

徹子
「これで駄目だったら、もうやめて帰ろう、岐阜へ。と軽い気持ちで」

細川
「はい」

徹子
「その軽い気持ちって云うのが良かったのかもね」

細川
「そうだと思います。いろんなもの全部荷物をおろしてと云うか、逆に荷物をまとめてじゃないですが(笑)
それぐらいの勢いで行ったのが良かったのかもしれませんね」

徹子
「そうかもしれませんね。
私、自分の事なんですけれど、今から50年前にNHKがテレビをはじめるから俳優を必要とするって広告が出たんですね。
私は絵本を読むお母さんになろうとNHKへ行ったんですけれど、そしたらみんな、物凄い真剣に6000人来て、残り13人になったんですけれど、凄い試験だったんですね。
テレビがまだ無いんですから。
あと2,3か月後にはじまると云う時でしたから。
みんなは女優だったり、色んな人が来てたけれど、私はお母さんになろうと思って。
絵本の読み方を教えてくれるのはNHKだろうと思って行きましたから、凄くのんきに・・・いい加減じゃなかったけれど、気張ってなかったと思う。
目的が違っていたんで」

細川
「うん。肩の力が抜けたのかもしれないですね」

徹子
「それで私は受かったんですよ。
”これに絶対受かってやる!”と云う人たちは落ちていましたね。
NHKは何も知らない人を欲しかったみたいなんですよ。
映画とか舞台とかやってないね、若い人。
私も大学卒業と同時でしたから、訳わかんない人。
”あなたは無色透明な人”と云われました。
何も出来ない人だけれど、一人ぐらいそういう人を採ってもいいかなと思ったとかなんとか。
だからそういう事も時としてはね。
・・・で、その内田有紀さんの相手役に受かったんですか?」

細川
「ええ、何とか採用していただけましたね(笑)」

徹子
「これで終わりにしようと思ったのに・・・」

細川
「こりゃまいったなと云う事ですよね。逆にまた。
やはり、出る分量(出演シーン)も多いですし、基本的にド素人と変わらないですから(笑)
それはそれで困りましたね」

徹子
「それでオーディションに行った時、よく叱られたんですって?
そこに立ってんじゃないとかなんとか」

細川
「それは収録入っちゃってからなんですけれど」

徹子
「入ってから」

細川
「はい。入ってから、仕事として成立しているのに叱られっぱなしでしたね(笑)」

徹子
「大きい役をやるような訓練は受けてないですものね。
だけれど、水泳の時の事を考えれば、そんな大した事じゃないと分かったんじゃない?」

細川
「黒柳さん、その通りなんですよ。
その15キロを泳ぐ事を考えれば、”まあ、どうって事ねえな”と。
結構、そっちの方で何とかなりましたね」

徹子
「ご自分をテレビの画面で見た時、どう思いましたか?」

細川
「やっぱり恥ずかしいし、直視できないですよ。
チラッ、チラッと見るぐらいで」

徹子
「それで、この世界に残ってみようかと云う・・・」

細川
「そうですね。あのう、結構ね、もっと先になりますけれどね」

徹子
「まだあるんですか?」

細川
「まだ、やっぱりこう・・・地に足が着いていない。
その後も仕事には恵まれたんですけれども精神的にね、こう大丈夫かな? 大丈夫かな? 不安な面が凄くありました」

徹子
「駄目ならば駄目で、なったらなったでそうなんでしょうね」

CM

徹子
「”遅くなったね”と云うだけでも25回やり直し」

細川
「(膝を叩いて笑い)はい。”テープ買え”って云われました(笑)
”買い取れ”って」

徹子
「けれどこの間、”北の零年(http://www.kitano-zeronen.jp/)”という吉永小百合さんの映画で、大体普通、50回テイクがあったそうですよ。
監督がそういう方で。行定さんとおっしゃる方。
本当に自分の欲しい映像を・・・吹雪の中ですよ。
吉永さんが24キロの娘をしょって、凄い大きな扇風機で本当の雪が飛んできて、その中、50回おやりになったそうです。
だから25回なんて、軽いかもしれませんね」

細川
「それもそうですね(笑)」

徹子
「で、今度は大河”義経(http://www3.nhk.or.jp/taiga/index.html)”も決まってらして。
平 重衡・・・清盛の息子」

細川
「末っ子(5男)になります」

徹子
「そこへ持ってきて、いよいよここで、先の話しに出ました”仮面ライダー”」

仮面ライダー響鬼の写真が映る。

細川
「はい。仮面ライダーですねぇ」

徹子
「それが、仮面ライダー響鬼と云うんですけれども。
不思議なのは、小さい時に仮面ライダーが好きで、あなたが仮面ライダーをやってらっしゃる時の8ミリがお家に残っていた・・・」

画面には、小さい頃の細木さんが変身ベルトを装着し、初代ライダーの大きな造形物の前で立っている写真が映る。

細川
「これ僕ですね」

徹子
「かわいい」

次に、仮面ライダーの乗り物(空を飛んでいるかのような姿勢)に乗っている細川さんの8ミリ映像。
右手を挙げてライダー気分。

徹子
「これが、そうなの? これお父様が撮ってくださったの?」

細川
「ああ、そうですね。
8ミリで撮ってもらったんですね」

徹子
「よく残ってましたねぇ」

次に、ステージの上で変身のポーズをしている。
ステージの上を駆け回ったりもしている。
お姉ちゃんも横にいる。

細川
「ちょうど、ショーが終わって舞台の上で」

徹子
「ああいう所って、ショーが終わると誰もいなくなるんですかね?」

細川
「そうですね。だから自分では、復習しているんですよね、多分(笑)」

徹子
「でも、かわいい。二歳の時のご自分のこれ(仮面ライダー)が出来るなんてね。
二歳の時の夢がですよ。ねぇ。
だから約30年経ったって事になりますね(笑)」

細川
「30年経ちましたね(笑)」

ヒビキが「変身音叉・音角」を額に当てている写真が映る。

徹子
「それで、響鬼と云うのは普通のと違って、音楽的なんですよね。
響鬼って、交響楽団の響に鬼って書いて。
今、(写真で)手に持っているのは、音叉って云うのね?」

細川
「はい」

徹子
「ピーンって音を出して、コーラスの方とか持っていますよね」

ここで本編の変身シーンが映し出されます。
動いている所は、初公開!

変身シーン
http://www.cow-spot.net/cgi/bbs8/img/RX20050128153623.jpg

徹子
「変わってますよね」

細川
「変身する為の道具というかね」

徹子
「音叉で」

細川
「はい」

徹子
「また子供達の間で流行るんでしょうね。
太鼓のバチとか、いろんなもので・・・衣装がなっているんですってね?」

細川
「ええ」

徹子
「手に持っているのは・・・」

細川
「これが相手をこう・・・やっつける武器みたいなものです」

徹子
「太鼓のバチみたいなもの・・・」

細川
「ええ。モチーフに」

徹子
「音撃棒だそうですけれど。
あと、ディスクアニマルとか・・・腰にCDを着けたりとか、不思議な変身の・・・」

細川
「そうですね。それ(ディスクアニマル)は、自分の仲間のことで、動物に変身するんですね」

徹子
「なるほどね。動物に変身するの?」

細川
「はい」

徹子
「凄いですね。この方、仮面ライダーをおやりになられる方ですからね。
お顔を見てて。
動物とかにもなっちゃう」

細川
「いえ、ここ(腰)にあるディスクが・・・」

徹子
「ディスクが動物になる」

細川
「動物になる」

徹子
「面白いわね。あなたはあなたで、変身する」

細川
「そうです、はい」

徹子
「ふ〜ん」

CM明け。

徹子
「細川茂樹さんがおやりになる”仮面ライダー響鬼”と云う、響く鬼と書いてヒビキなんですけれども、これはあさって(1月30日)から始まるんですね?」

細川
「はい」

徹子
「日曜の朝8時・・・早いですね(笑)
子供が見るから・・・」

細川
「はい。もうね、早いんですけれども」

徹子
「そうなんです。そして変身したりなんかするんですけれども、その同じ日曜の夜8時から・・・」

細川さん、笑う。

細川
「また(笑)」

徹子
「平清盛の息子をおやりになるんで、お母様がおっしゃったんですって?」

細川
「そうですね(笑)まあ、朝8時は仮面ライダー、夜は侍で、8時8時で、”日曜8時の男”でいいじゃないかと(笑)」

徹子
「日曜8時の男で、しかも両方とも一年ですって?
そして一年間あなた、本当にね、朝8時は仮面ライダー、夜の8時は大河の時代物と云う事で、本当にご活躍って事で」

細川
「そうですね。あの責任持ってね、いい作品に仕上げていこうと思ってますので」

徹子
「特に悩んだって云うのは・・・そのう、大人になって仮面ライダーをやるのはと、お思いなったそうだけれど、子供達にやっぱり夢をって事で、みんなに見てもらうのは・・・」

細川
「そうですね。あのう、大役だと思いますので」

徹子
「そうね。だって、二歳のあなたがああやって走っているんだから。
やっぱり今でも二歳の子供が、あなたを見て走りますよきっと」

細川
「はい(笑顔)」

徹子
「ありがとうございました」

拍手。
細川さん、頭を下げる。

徹子の部屋の一場面
http://www.101fwy.net/toku1/src/1106890161018.jpg

以上が、対談の一部始終です。
いかがだったでしょうか。
仮面ライダーは子供のヒーロー、憧れの対象。
これは大変な仕事です。
子供達はよく見ていますから、生活のどんな場面でも常にヒーローを演じていなければいけません。
けれど、細川さんなら大丈夫だと思いますよ。
お話しをされている時の身振り手振りを絡めた物静かで丁寧な話し方は、まさに演じるヒビキそのもの。
私は今まで、この方はエリートサラリーマンとかそういう役の姿しか見ていないので、昔は大変苦労して生活されていたなんて思いもよりませんでした。
けれど、そういう底辺の生活を知っているからこそ、人に対して優しく出来るし、心も寛容でいられるのではないでしょうか。
この方は間違いなく、ヒーローになれる方だと思います。
明日の放送をお楽しみに。


魔化魍を封印する姿
http://www.cow-spot.net/cgi/bbs8/img/RX20050127204310.jpg

おっ、巨大な敵との戦いが最初にあるようですね。

Posted by kanzaki at 2005年01月29日 20:29 | トラックバック (0)