2006年06月13日

ギャル用語:「場面」で生きている

昨日、ギャルサーの生態を追ったドキュメント番組があったので、ちょっと観て見ました。

・はてな - ギャルサーとは
http://d.hatena.ne.jp/keyword/%A5%AE%A5%E3%A5%EB%A5%B5%A1%BC?kid=150137

「ギャルサークル」の略。
大都市を中心に若い女性で構成されているサークルの事。
ほとんどのサークルには「年下にも敬語で話す」「礼儀正しく」等の規律があり,面接もあるのが普通。
話のあう仲間と話をしたり,相談をしたり,一つの目標へ努力したりと,彼女らにとっては「癒しの場」であり「生きがい」である。


○MY日テレ-アンテナ22「実録 渋谷 ギャルサー物語」 (2006/6/12放送)
http://p21.4cast.co.jp/cookinfo/antenna22/oa/060612/menu.jhtml?1=1

・放送内容
http://p21.4cast.co.jp/cookinfo/antenna22/oa/060612/txt_01.jhtml?1=1

センター街を占拠する集団…それは"ギャルサー"
若者文化を象徴する彼女たちのド派手メイクに隠された素顔とは!?
現代の若者の光と影、そして心模様にカメラが迫ります!

そのアンジェリークで最も顔が黒く目立っているのが、彩(あや)19歳。現在、彼女は同じサークルのメンバーの自宅に転がり込んで生活しています。これまでも様々な友達の家を渡り歩き家出を繰り返してきた典型的な漂流少女。そんな彼女の行動はギャルたちがよく口にする『場面』に根ざしています。ギャル用語『場面』とは、その時その時で考える、場当たり的な行動━━━という意味…。

・現場メモ
http://p21.4cast.co.jp/cookinfo/antenna22/oa/060612/dr_01.jhtml?1=1

みなさんは『場面』という言葉をご存知ですか!?これはギャル用語で、"その時その時で考える、場当たり的な行動━━━"という意味です。今回我々は渋谷センター街の中心にど派手なメイクでたむろする"ギャルサー"と呼ばれる集団に密着したのですが彼女たちの全てを象徴する言葉のひとつがこの『場面』に集約されていました。
取材中、彼女たちに『明日の予定はどうなっているの?』とか『今日はこれからどこへ行くの!?』と聞いても彼女たちは『場面で・・・』と答えます。つまり予定はなくその場その場で楽しいと思ったことをする・・・それがギャルサーと呼ばれる彼女たちの考えなのです。そんな『場面』的な行動ゆえ、我々取材班は振り回されることが多くありました。取材の約束をしていても時間通りに場所には来てくれない・・・そんなことも度々でした(笑)

彼女たちの衣装とメイクを見たとき、「秋田のナマハゲ・・・」と思った事はナイショです。
番組の中でテリー伊藤さんが、本当は引きこもりがちになりそうな彼女たちが、ドハデな化粧をすることで外へ出ることが出来ているんだと云ってました。
ギャルは、コミュニティツールとしての仮面なのかも。
学園生活・勉強・周りの同世代の人達から何らかの形でドロップアウトしてしまい、そんなドロップアウトした人達が集団になって、一つのコミュニティを形成しました。
云い方は悪いかもしれませんが、スラム街の人達と似たところがあります。
ただしスラム街の人達の場合は、「もう上昇志向は捨てよう」とその生活レベルで生きる事を肯定しています(良くも悪くも)。
それに対してギャルサーの子達は、何だかんだで将来に対して不安を持ち、しばらくすると、例えばネイルの学校へ行って技術を磨き、それを仕事にしたいとか、社会人としての行き方を考えます(今回の番組内にも、そういう子がいました)。
決して現状に甘んじて、その場所で一生を過ごそうとは考えていないようです。
いろいろと屁理屈をこねた言葉を使ってはいましたが、自分と云うものの生き方・考え方・ポリシーがしっかりと根付いてギャルをしている訳ではありませんでした。

今回の番組の中で一番印象に残ったのは、「場面」と云う言葉。
上記の参照記事にもあるとおり、その時その時で考える、場当たり的な行動を指します。
「場面」で生きている・・・これが彼女たちの行動パターンでした。
それにしても、このギャル語を考えた人はセンスあるよなあと、ちょっと感心。
最初に思いついた人はきっと、自虐的な意味を込めて使っていたのかもしれませんがね。

「場面」で生きるって、映画のフィルムみたいな連続性のあるものじゃなくて、紙芝居みたいなものなんでしょうかね。
本物の紙芝居は、前後の一枚一枚の絵は全く違っていても、お話しとして関連性のあるものの連続です。
しかし、ギャルサーの彼女たちの場合、同じ人間による行動だけれど、紙芝居を一枚めくると、いきなり場面転換して話しが変わっている。
前後の一枚一枚に関連性が無いのです。
一枚一枚の絵が、1コマ漫画みたいに完結しちゃっていると云うのかな?

私はこういう場当たり的な生き方って、逆に度胸があるなあとも思ったりもします。感心はしませんが。
だって、どんな事でも予備知識なし、経験値なしで突っ込んでいくんですもの。
私はおっかなくて、とてもそんな事は出来ません。
多少なりとも理論武装や、そのミッションに対して必要なスキルを身につけてから挑みます。
彼女たちは、そういう生き方をしていません。
そういう事をしなくても出来ることしかしていないから、それでも何とかやっていけているだけなんだと思います。

「場面で生きる」と云う風潮は、実はギャル限定じゃないかもしれません。
練習、修行、日々の積み重ねと云うものを放棄した生き方・・・それが、場面で生きる事。
正直な話し、楽なんですよね。こういう生き方。
多かれ少なかれ、日本はそういう流れに向かっているような・・・。

Posted by kanzaki at 2006年06月13日 23:46