2006年07月23日

老人になっても・・・

先日、当社の株主様がお越しになられて、株式の整理をしたいとの相談を受けました。
その株主様は、80歳を超えるおばあちゃん。
一人暮らしをされているそうなのですが、さすがに一人では来られないので、近所の知り合いの方と一緒に来られました。
同伴の方によると、このおばあちゃんは少し痴呆の気があるそうです。
そして、そういう方に共通する言動で、自分の家の何かが見つからないと、すぐにヘルパーさんや近所の人が盗んだとわめき騒ぐそうです。
目の前にいるこの方を見ると、とてもそうには見えないけれどなあ。

帰宅してから母に、その事を話しました。
母は現在、介護士をしていて、いろんな年配の方の家へ訪れては、料理、掃除、洗濯、お風呂などのお世話をしています。
やはり中には、自分の家の書類やお金が見当たらないと(ただ単に、家を綺麗にしていないだけ)、すぐに介護士に食って掛かることがあるそうです。泥棒呼ばり。
他にも、ここで書けないような事とか色々あります。

老年になると、昔の30代、40代の時ではありえないようなワガママで傲慢な行動・言動をしてしまう。
これはどうやら、その人の本当の心が表面化したかららしいです。
仕事をして社会と接している間は、いろんなシガラミ、人間関係などがあり、ワガママを云いたくても、社会に適合するために心にリミッターがかかるのです。
しかし、介護を受けるような年代になると、社会と接するような事もなく、社会適合用の鎧が必要なくなり、更には痴呆によってそういう事も考えられなくなり、本当の心が表面化するのです。

そういうワガママな事をする老人が多いのは事実。
そうしますと人間の真の姿・心と云うのは、とても醜いものなのでしょうか?
街を行き交う人々。
すれ違う多くの人達は、澄ました顔をしていても、実は心は醜く、それを隠しているだけなのでしょうか?

私は少し、悲しくなりました。
人間って素晴らしいものじゃなかったのかと。
そんな私に、母はこう云いました。

「そういう酷い人もいる。その酷い心と云うのは、その人が長年生きてきて形作られたもの。だから、私たちは今のうちから心を豊かに、そして優しい心にする為に様々な素敵な経験が必要なの。本当の心が表れてきても、その心が綺麗であるために」

確かに、心って云うのは、一朝一夕に形成されるものじゃありませんよね。
老人になった時の心は、今までの人生経験の結果。
痴呆の気が表れても、誰からも愛される人でありたいですよね。

あなたはその為に、どんな事を今からしますか?

Posted by kanzaki at 2006年07月23日 22:55