春秋時代、斉の宰相 管仲(かんちゅう)の言葉で、「衣食足りて礼節を知る」なんて云う言葉があります。
生活に余裕ができて初めて礼儀や節度をわきまえられるようになると云う意味です。
仕事などで精神的に追い詰められていると、笑顔のひとつも出来なくなり、ちょっとした事でもカチンときてしまうものですよね。
これは心に余裕が無いからです。
車のペダルには「遊び」と呼ばれる調整があります。
「遊び」とはペダルを踏み始めからブレーキが効きはじめるまでの距離のことを指すそうです。
この遊びが少な過ぎると、ペダルに足を乗せただけでブレーキがかかってしまい、逆に多過ぎると、ブレーキが効き始めるまでにタイムラグが生じてこれまた危険。
少し余裕のある調整がベストのようです。
スキーやスノボ。
これらは滑走の際に、膝を曲げて、まるで電車のパンタグラフのように可動させることで、どんなデゴボコの面も、可能な限りまっすぐ滑って行くことができます。
初心者は、膝をピンとまっすぐにしてしまうものだから、斜面のデコボコに対処は出来ないし、更には加重が後ろの方に掛かってしまい、ますますスピードが出てしまいます。
膝の動きに余裕がないと、上手く滑ることができないのです。
人間は完璧を求めて、己の才能や知識を磨こうと専念します。
けれど、例えば勉強において、一から十までテキストの全てを完璧に覚えようとすると、途中で息切れを起こしてしまい、結局、テキストの最後まで目を通すことすら出来ずに断念するパターンが多いですよね。
私がそういう人間でした。
けれどある時、母がそんな私の態度を見て、「覚えなくてもいいんじゃない?」と助言をしてくれました。
これはインパクトがありましたねえ。
覚えるためにテキストを読んでいるのに、それを覚えるなと云うのですから。
それは、最初の一ページから順に丸暗記をしようとする私の勉強スタイルでは、確実に挫折してしまうであろうから、そのように云ったのだと思います。
私はその言葉を聞いた後、テキストを暗記するのではなく、とにかく軽く読み流していくスタイルに変えました。
軽く読み流すならば、テキストの全ページを最後まで読破することは、そう難しいことではありません(けれど、初回はやはり厳しい)。
一度全ページに目を通しますと、全体図が頭に浮かびます。
そして、読み終えたと云う精神的な余裕が出来ます。
けれど、細かい事はまだ覚えていません。
その後は、読むのを繰り返しました。
そうやって、おぼろげな記憶が自然と定着していきました。
最初は読むだけでも辛かったのが、いつの間にかスラスラ読めるようになって、その勉強に対する苦手感が消えていきました。
インプット作業をある程度した後は、問題集などでアウトプットの練習。
完璧なテキストの丸暗記で挫折するよりも、覚えようと意識しないで進めていった方が結果的には良かったりしました。
根を詰めて暗記するよりも、やはり余裕を持ったスタイルの方がいいみたいです。
だんだん歳を重ねていくと、無理な生き方は自然としなくなりますよね?
まあそれは、記憶力や集中力、体力などの低下によるものもあるのですが、余裕のある生き方の方が、自然と笑顔を作る事の出来る生活を過ごせるからではないでしょうか?
心に余裕が出来ると、視線を上へ向ける事が出来ることに気づくんですよ。
そうするとね、目の前に表情豊かな空が現れるわけです。
季節、時間、天候で色んな表情を見せてくれます。
私は幼少の頃、鉄棒の棒の部分にオヘソを当て、そこを中心にクルリと回転し、自分の体が地面に対して逆さになった状態で空を見るのが好きでした。
この状態で空を見ると、普段は自分の足元が地面なのに、その時は足元に空があるのです。
まるで、空を飛んだり・歩いているかのような錯覚に陥り、いつまでもそんな状態で過ごしていました。
小さい頃に、そうやって空を見るのが好きだったのは、やはり心に余裕があったからなのかもしれませんね。
今と違って、背負うものはありませんでしたから。
空を見上げたって、空が何かメッセージや助言をくれる訳ではありません。
けれど、空は我々に「心の余裕」を作ってくれます。
これからの秋、天気が良い日が続きますが、どうか空を見上げてください。
自然と笑みが浮かびますよ。
日 | 月 | 火 | 水 | 木 | 金 | 土 |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | |
7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 |
14 | 15 | 16 | 17 | 18 | 19 | 20 |
21 | 22 | 23 | 24 | 25 | 26 | 27 |
28 | 29 | 30 | 31 |