2009年07月18日

金沢市の日本庭園「兼六園」を訪れる(3)

前回の続きです。

●神崎のナナメ読み: 金沢市の日本庭園「兼六園」を訪れる(2)
http://kanzaki.sub.jp/archives/001893.html

まずは「海石塔(かいせきとう)」。

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瓢池の中島に建つ、高さ4.1mの塔。
虫が喰ったように穴の空いた淡茶色の笠石が、六重に重ねられています。
3代藩主・利常(としつね)がつくらせ、金沢城の庭園にあった13層の石塔の一部を移したという説と、朝鮮出兵の際、加藤清正(かとうきよまさ)が持ち帰ったものを、のちに豊臣秀吉(とよとみひでよし)が、前田利家(まえだとしいえ)に贈ったという説があります。

その奥が「翠滝(みどりたき)」 。

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霞ヶ池から流れ出て、瓢池に注ぎ込む大滝。
夕顔亭の対岸に懸かっています。
高さ6.6m、幅1.6mで水量が豊富、滝音も大きく、目と耳を同時に楽しませてくれます。
その荘厳さは他庭には見られない景観で、兼六園のなかでも最もすぐれた庭景の一つと言うことができます。

シャッタースピードを2秒にして、滝の水の流れを一枚の淡い板のように表現してみました。
レンズにブレ防止機能が付いていても、三脚無しでこのように撮影するのは難しいですね。
何度も全体がブレた失敗写真を撮ってしまいました。
次回、兼六園を訪れるときには三脚を持ってくるとしましょう。

次は「根上松(ねあがりまつ)」。

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大小40数本もの根が地上2mにまでせり上がった奇観はたいへんな迫力で、兼六園名物の一つとなっています。
この松は、13代藩主・斉泰(なりやす)が土を盛り上げて若松を植え、根を深く土で覆い、成長後に土をのぞいて根をあらわにしたものだと伝えられています。
最初見た時は、その奇形に驚きましたが、意図的に作り上げたものだったんですね。

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こちらの「松の傷」は、太平洋戦争が終わった年・昭和20年(1945)の六月頃、政府の指示によって軍用航空機の燃料にするため、松脂を採取した後だそうです。
こんな美しい庭園にも、戦争の影響があったんのすね。

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よく見ると、蝶々が写っていますね。

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なんとなく疾走感があって好きです。

特に名所として指定されていない場所でも、植物、水の流れ・・・それが融合し、我々の心を穏やかにさせてくれます。

Posted by kanzaki at 2009年07月18日 20:16