私の母は、自分自身の思い出話しをする際、暗い表情を見せる。
とても貧しい家庭で育ったので、楽しい思い出が少ないからだ。
そんな母が珍しく明るい表情で昔話を語った。
皆既日食だ。
母は小学生の時、皆既日食を見たそうだ。
ガラスの破片をロウソクの煙で黒くして、それをかざして日食を見たのだと言う。
私自身は皆既日食について、それほど興味がなかった。
今朝、いつもどおり弁当箱を袋に包んでいると、横から母が声を掛けてきた。
皆既日食を見るのかと聞いてきたので、曖昧な返事を返すと、母は急いで台所へ行った。
しばらくして戻ってくると、手には奇妙なものを持っていた。
昨日、テレビで紹介していた皆既日食の観測道具だった。
サランラップの芯の片方にアルミホイル、もう一方にスーパーの白いレジ袋を輪ゴムで止める。
アルミホイルの真ん中に安全ピンを刺して、小さな穴を開ける。
たったこれだけなのだが、十分に観測できるそうだ。
見る際は、アルミホイル側を太陽に向け、アルミホイルに刺した穴を通して入ってきた太陽の光をレジ袋の投影された部分で見るのだ。
これはピンホールカメラの原理と同じ。
レジ袋の部分がピンホールカメラならばフィルムになるのだ。
今日、母は資格の学校にて授業があるので、皆既日食は見られない。
だから私にそれを託したのだ。
私は弁当と一緒にカバンにそれを積め、家を後にした。
会社へ行く道中は雨が降っていた。
とても皆既日食なんて観測できそうな空ではない。
気分的には諦めていた。
午前10時を過ぎた頃、急に事務所の外が明るくなった。
先ほどまで降っていた雨がやみ、時折、青空と太陽が見えてきたのだ。
すっかり頭の片隅に追いやっていた皆既日食の事が、考えの中心に動いた。
そして、カバンに入れたままだったサランラップの芯を取り出した。
新潟は位置的に完全な皆既日食にはならない。
68%欠けだ。
しかしそれでも、欠けのピークになる11時10分を前後とした一時間程度、外が少し暗くなった。
上記の通り、簡易な道具でも皆既日食(部分日食)を確認できた。
雲の多い天気だったこともあり、そのまま肉眼でも太陽の欠けを確認できた。
本当は良くないのだろうが、多くの人が空を見上げて驚きの声をあげていた。
母の見た昔の自然現象を今、こうして自分が体験している。
46年という時間の壁を越えた不思議な感覚を覚えた。
皆既日食そのものよりも、そういった想いの方が強い。
日本で次に見られる皆既日食は26年後の2035年9月。
北陸や北関東圏で見られるそうだ。
新潟からそれほど遠くない。
その頃、自分は仕事をリタイヤしているかもしれない。
それどころか生きているかも分からない。
そんな事を会社で話していたら、
「よその国へ行けば、見られる機会はいくらでもありますよ」
と言われた。
確かにその通りだ。
今回は受け身の形で体験したのだが、自分自身に知的好奇心がある限り、幾らでも死ぬまでに体験することは可能なのだ。
そしてその時は必ず、母が作ってくれたこの観測道具も持っていくとしよう。
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