2009年10月30日

通夜へ行く

昨晩は通夜に出ました(会社の上司のお母さんが亡くなられた)。
私はお葬式というものに殆ど出席したことがありません。
幼い頃、父を海難事故で亡くし、あの時の葬儀の記憶がトラウマになっているからです。
事情もよく分からず、大人達が慌しく物事を進めていく中、私は泣いているほかありませんでした。
しかし、その泣いている自分自身、何が悲しいのかを言葉では理解できず、ただ感情だけで泣いていたように思います。

お坊さんの話の中でこんなものがありました。

・最近は告別式という言葉がよく使われている。これは宗教色を消した感じ。告別式は文字のとおり、別れを告げる式。

・しかし、わたしどもの宗教では、別れではない。葬儀を通じて、相手と向き合うというものだ。

そんな感じの事を言ってました。
私は宗教というものはあまり関心もありませんし、深くも考えません。
けれどやはり葬儀の時は、死というものを考えるのに、宗教というものは必要なのかなと思います(宗教によって考えはあれど、それは人それぞれ。他の人が否定することではない)。

自分の母親も還暦を迎えました。
相変わらず仕事をしながら国家試験の勉強をしている毎日。
韓流スターのおっかけをして東京のイベントも頻繁に行くし、ヨン様主演のドラマ「太王四神記」の撮影見学に海外へ行った事もあります。

私なんかよりアクティブなので、私より長生きしそうな勢いではありますが、それでも投与している薬は日々増えていますし、何かにつけて怪我等も増えています。

もし母が死んだら、その時自分はちゃんと対応できるのだろうか?
お坊さんが言っていたように、ちゃんと向き合う事ができるのだろうか?
いろいろと考えてしまいました。
しかしそれよりもまず、「今」という時間の間に、ちゃんと向き合って話し合うべきなんでしょうね。

Posted by kanzaki at 2009年10月30日 23:30