2009年11月22日

食い物

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あえて「食い物」とガサツに言ってみます。
商品価格が異常に下がっており、デフレ傾向の昨今ですが、当面の話しだけ考えてみれば、消費者にとってはありがたい話しです(じわじわと首を締め付けられる事にはなりますが・・・)。

上記の写真は、近所のとても小さな畑の大根です。
なんとなく冬と言いますと食物が実らないイメージがありますが、気温が一桁であろうとちゃんとこうして育っているのを見ますと、自然の力を感じます。

こうやって出来た野菜等が我々の食卓にのぼるわけですが、中には「貧困」という状況の為に、食べるのもやっとの人が現実にいます。


●東京新聞:「遺児の教育費問題は、解決したんじゃないの?」
http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/hissen/CK2009112202000083.html

「遺児の教育費問題は、解決したんじゃないの?」。あしなが育英会がこの秋、全国一斉に展開した募金活動の際、こんな質問が何件かあったという▼募金額は約一億五千六百万円。昨年より五百万円減った。不況の影響や、新型インフルエンザの流行で街角に立つ学生ボランティアが激減したことに加え、政権が掲げる公立高校の授業料無償化の報道で、「民主党がやるから募金は不要になる」という誤解が広がったことも背景にあるようだ


●東京新聞:子どもの貧困深刻化 昨年度の『就学援助』受給者 県内で6万人突破:埼玉
http://www.tokyo-np.co.jp/article/saitama/20091122/CK2009112202000094.html?ref=rank

生活が苦しい家庭の小中学生に学用品費や学校給食費などを支給する就学援助制度で、学用品費等の支給を受けた県内の児童生徒は昨年度は六万九百九十五人で、過去五年間で初めて六万人を突破したことが、県のまとめで分かった。受給者はほぼ十人に一人で、景気低迷や雇用情勢悪化を背景に、子どもの貧困が深刻化している実態が浮かんだ。


現実にこうして、貧困のせいで子供達が進路変更を余儀なくされることはあるのです。
私も他人事じゃありませんでした。
なにせ私自身も、上記の記事に書かれている「あしなが育英会」から奨学金を借りていた一人ですから。
昨年ようやく借りていたお金を全て払い終わりました。
あしなが育英会以外にも奨学金を借りていましたので、返済までの道のりは長かったです。
しかし、贅沢とかする人間ではありませんので、一度も滞ることなく返済を行ってきました。
このご時世ですから、おそらく私と同じ時期に奨学金を借りていた人の何割かは、返済が滞っているかもしれません。

よくよく考えてみれば、モロに「貧困層」と呼ばれてもおかしくない私が、大学へ進学・卒業をして、地元の会社へ就職し、一度も転職することなく管理職にまでなれたのは奇跡なのかもしれません。
なにかしら、ほんのちょっとのズレがあれば進学することも出来ず、その結果、今頃なにをしていたか想像もできません。

メディアにとりあげられる貧困の多くは母子家庭。
そして、その貧困の犠牲になってしまった子供達。
私もその中の一人になっていたかもしれないと思うと、ゾッとします。

とは言え、もし何かの拍子に失職してしまえば、私だって奈落の底へ簡単に突入してしまいます。
安心して老後を迎えられる可能性の高い人は、この日本にはほんの一握りしかいないのではないでしょうかね。

実はこの日本という国は、まだ母子家庭やハンディキャップ者などの弱い立場の人への保障というものは、何だかんだで用意されています(老齢年金、障害年金、児童扶養手などがそれに当たるのでしょうか)。
けれど働く能力を持っている世帯には、そういった手当てが十分に整っていません。
失業時の生活保障も満足になされていないのが現実です(特に非正規の労働者、超冷遇正社員。自営業もそうなのかな?)。
大昔ならば、失職しても次の職がすぐ見つかったから良かったものの、今では次の職を見つけるのは難しく、失業期間が長くなっています。

こうなってきますと、貧困生活を余儀なくされる人の数は年々膨らむ一方です。
さて、こんな状況において私自身はどうするかと考えますと、現実には「足るを知る」の精神で生きていくしかないだろうと思うのです。
大げさな事を言ったり、革命を起こせるほどの人間ではありませんから。
他人から見ればつまらない生き方のように見えるかもしれませんが、その人が私の生活を保障してくれるわけじゃありません。
そもそも「足るを知る」というのは何も、ギスギスとした節約生活の事ではなく、心にゆとりを持った生活のことです。

私が写真撮影をしているのは、心にゆとりを持つための手段なのかもしれません。
以前ならば、冒頭のような光景に目を向けることもありませんでした。
食卓に上がる料理を食べられる幸せ。
そして、無限に食べ続けるのではなく、ある程度のところで「ごちそうさま」とちゃんと言えるようにしようと思うのです。
今、私が出来るのは、これぐらいです。

Posted by kanzaki at 2009年11月22日 23:38