2010年04月03日

幼少時代の味で心穏やか

今週の仕事は、いつにもましてハードでしたよ。
こうやって、自宅でサイト更新するという日課をする事で、仕事一色の生活にならずに済んでいるように思えます。
明日は久々に好天の休日。
撮影機材を担いで、どこか旅へ出るとしましょうか。


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今朝の新聞に、「一人ぐらしの食の工夫〜幼少時代の味で心穏やか」というコラムがありました。
4月に入り、新たな環境で日常生活をスタートさせる学生や単身赴任者。
そんな人達へ料理の大切さを説き、養生の為にしっかりと栄養をとってほしいと書いてありました。

毎日、料理を手作りするというのは大変です。
食材の買い出しの際、新製品や今まで使ったことのない調味料、便利な加工品などの発見は、手作りの重圧から一人暮らし初心者を解放しれくれるそうです。

もう一つ、自炊生活を長続きさせるコツとして、幼少期に体験した味わいを持参品とすることを勧めています。
特に、家庭で使い続けてきた味噌、醤油、煮干や昆布などのダシが大切。
違う土地の味わいを楽しむ文化的行動も必要ですが、心を癒し、疲れを回復させたいと思ったときには、外食するよりも幼少期に体験した味わいを自分で用意するのも一考。

味覚形成は8〜10歳ごろにピークになるそうです。
自分が育った土地の味わいが単身生活にとっての「薬」になることもあるでしょう。

私も大学生になって生まれて初めて一人暮らしをした時、実家で食べていた味が心の支えになっていました。

新潟のご飯は「コシヒカリ」が主流なので、水は少なめにして固めに炊きます。
そうすると、米の一粒一粒が立って、私好みの味となります。

大学周辺の土地では、お米の炊き方が、新潟とまるっきり違っていました。
水が多めで、まるでお粥のような感じなのです。
米と米がくっついていて、ツブツブ感がありません。
味もそうですが、この食感が私には耐えられませんでした。

そんな事を母に話したところ、定期的にコシヒカリを送ってくれました。
私は仕送り無しの貧乏生活をしていましたが、コシヒカリさえあれば、それも耐えられました。

社会人になって何年かしたある年、伊豆で研修を数泊行いました。
朝から晩まで研修。
周りは誰も知らない人ばかり。
かなりストレスが溜まっていました。
しかも、お米が美味しくない。
更に味噌汁が、新潟で慣れ親しんだ味じゃない。
「食」は、ストレス軽減の重要な要因だと思うのですが、それすら満たせなかった為、非常に辛かった事を覚えています。

枕が変わると眠れない人がいるように、ご飯と味噌汁が変わると、私のモチベーションは一気に急降下してしまうのです。

新潟はもともと食べ物がうまい土地ですから、他県で格別に美味しいと思う料理に滅多に出会いません。
そう思うのはやはり、慣れ親しんだ味を基準にしているからであって、他県の人が新潟へ来て料理を口にすれば、「なんか違う」と思うのかもしれません。

幼少時代の味といえば、学校での給食やお弁当もそうですよね。
給食は全員、同じ食べ物を口にするので、共同生活の良い訓練になると思います。
私は幼稚園、小学校と給食でしたが、中学校に入ると、お弁当を持参しなければいけませんでした。
新潟市の殆どの中学校は、私の時代から今に到るまで、お弁当持参です。
せいぜい、学校側で牛乳のみを配給するぐらいなんですよ。

お弁当は、各家庭の個性が出るものです。
中には、カレーライスを持ってきたり、冷やし中華(スープは一人分の既製品を食べる時にかける)を持ってきている人もいたっけ。

我が家は母子家庭でしたので、母は仕事ヘ出かける合間にお弁当を作っていました。
今思えば、どんなお弁当だろうと、毎日一生懸命作ってくれたことに感謝しなければいけませんでした。
しかし思春期の私は、毎日同じおかずのお弁当が大嫌いでした。
いつも白いご飯、鮭を焼いたもの、厚焼き玉子の三つだけ。
この、いつも白・茶・黄の三色のお弁当を食べるのが嫌だったのです。

それを愚痴った翌日、お弁当はとても豪華でした。
何品もオカズが入っていて、見た目にも楽しい。
よく見ますと、ご飯の一部が赤いのです。
そういや、いつも作る母親の料理と味が違う。
実は母が、弁当屋から買ってきた弁当のご飯とオカズを弁当箱に移し変えたものだったのです。
ご飯の一部が赤いのは、その上に梅干しが乗っていた名残りです。
息子のわがままを時間とお金のない中で思いついた対処方法。
それに気づいた時、愚痴った自分に後悔したのを今も覚えています。

そんな三色弁当の事を思い出させてくれたのは、数年前、貫地谷しほりさん主演のNHK朝ドラマ「ちりとてちん」のエピソードでした。

貫地谷さん演じるヒロイン・喜代美は高校時代、お母さんが作るお弁当が嫌いでした。
母の作るお弁当は、汁がこぼれて包みが茶色く変色、おまけにフタを開けても茶色い印象の地味なもの。
それに対して、友達のお弁当は彩り豊かでおしゃれな雰囲気。
その違いに溜息ばかりが出ます。

高校を卒業した喜代美は大阪へ行き、落語の師匠の元で住み込みを始めました。
師匠の家の敷地内にある離れに、喜代美の住む部屋があります。

新しい環境で一人暮らしをする準備を手伝うため、お母さんが上京してきました。
お母さんが料理を教えてくれます。
相変わらずお母さんの作る料理は茶色でした。

一通りの事を済ませると、お母さんは電車で実家へ帰ります。
母を駅まで見送り、喜代美は自分の部屋へ戻ります。
静かな誰もいないこの部屋には、お母さんの作った茶色い料理がありました。
喜代美は、あんなに嫌だった茶色い料理が、とてもいとしくて泣けてきます。

見ている私まで、泣けてきました。
私の母が作ってくれた三色弁当を思い出したからなのでしょうね。
月日が流れ、母が他界した後、何かの偶然で三色弁当に出くわしたとき、私は多分、何も語らずに泣いてしまうかもしれません。

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tonobento01.jpg

上記の写真は、会社の女性社員の方が、息子さんのために作ったお弁当です。
お母さんも息子さんも、「侍戦隊シンケンジャー」という特撮番組が好きなので、お弁当で、シンケンレッドの顔を再現しています。

シンケンジャーのメンバーは全員、顔に漢字一文字が描かれており、シンケンレッドは漢字の「火」がモチーフとなっています。
その「火」という文字を海苔をハサミで切って作り上げています。
その再現度が非常に秀逸。

シンケンジャーは侍をモチーフにしているので、武器は刀です。
その刀をプラスチックの爪楊枝に豆を沢山刺して再現しているのもニクイ演出ですね。

お母さんが作ってくれた、こんな素敵なお弁当を食べられる息子さんが羨ましいです。
きっと、大人になっても心に残るお弁当になるでしょうね。

Posted by kanzaki at 2010年04月03日 21:14