2012年04月29日

この休みは「ちょっと」を探してみよう〜詩人・作家ヘンリー・デイヴィッド・ソローの質素な生活

chotto01.JPG


ヘンリー・デイヴィッド・ソロー(Henry David Thoreau)という19世紀の詩人・作家をご存知でしょうか?
環境保護運動の先駆者として評価も高いです。

何をやらせても器用な人物でしたが、ハーバード大学を卒業後は、定職に就きませんでした。

都会を離れ、ウォールデン湖畔の森の中に丸太小屋を建て、自給自足の生活を2年2ヶ月間送りました。
代表作「ウォールデン-森の生活」は、その時の記録です。

その後、秀でた測量技術により、食いっぱぐれは無かったものの、フリーターみたいな感じの生活でした。
必要以上のお金には興味がなく、質素な生活。
また折々、依頼があれば講演を引き受けたり、執筆をしていました。
44歳で若くして他界した彼の考えは、今も多くの人が感銘を受けています。

ちなみに、父は鉛筆工場を経営していたので、彼は手伝ったこともあります。
HやBなどの芯の硬さや、赤青の2色鉛筆を考えたのは、実はヘンリーなんですよ。

【ヘンリーの質素な生活】

ヘンリーは自然と向きあう事で、色々なことを理解しました。
例えば彼の質素な生活も、そのためです。

彼は結婚をしなかったのですが、質素で賢い生き方をすれば、一人の生活も楽しいと言っています。

単なる無知と誤解の為、しないでも良い苦労、取るに足らない仕事に追いまくられ、素晴らしい人生の果実を多くの人が手に出来ていないと考えました。

また、もしみんなが質素な生活をしていれば、泥棒や強盗はいなくなると考えました。
巨万の富を得る者と、貧困な生活を強いられている者の相反する両者がいるから犯罪が起こるのです。

彼は、ガムシャラに働く事を否定しています。
ガムシャラに働かなければ、ガムシャラに食べる必要も無いので、食費は僅かで済むからです。
ガムシャラに働くと不満がたまり、生命をすり減らして損な人生を送る事になります。

生活のレベルが一段下がっても、心の豊かさを一段上げれば良いと考えました。
余分な富を持っても、余分なものしか購入しないものです。
本当に魂が必要としているものには、お金は必要ありません。

21世紀になった今でも、消費文化は健在です。
本当に必要な僅かなものだけあれば生きていけるのに、「これがあると○○の時に便利」「これがあると自慢できる」と言い訳して買いたくなる。
買うためにガムシャラに働き、心身を削っていく生活を正当化しようとします。
ものを手に入れても心が潤わず、果たしてこれが健全な社会と言えるのでしょうか?

【野性的な部分の必要性】

ヘンリーは、質素な生活により、宇宙の法則が見えてくると語ります。
孤独は孤独でなくなり、貧困は貧困でなくなり、弱点は弱点でなくなると。
自分の内側へ目を向け、自分の心の無数の領域を発見しよう。

自然の声を聞くには、人間である自分を葬る必要があるそうです。
そのまま自然を直視しても、自分の側からしか見ないからです。

(なんか、スピリチュアル系の怪しい本の解説みたいだなあ・・・)

しかし長年、自然の中で自給自足の生活をしていた彼なので、意外とドライといいますか野性的なものを持ちあわせています(教会にも行かないし、宗教家でもないしね)。

高尚で精神的生活を志向する本能があり、一方で原始的で野蛮な生活を志向する本能もあり、両方を大切にしていました。
そして我々には、人の手に負えない「野性」という「気つけ薬」も必要と考えました。

勤勉なだけでは十分ではなく、何について勤勉かが問題。
道徳的すぎると、誰かに人生を巻き上げられてしまう。
道徳よりも高い志を持つべき。
ただの善人になるのではなく、目的を持った善人になれ。

※※※

【神崎は「ちょっと」を推奨します】

私は昔、収集癖があり、部屋が混沌としていました。
ある時、自分が管理できる以上のものがあるとストレスになることに気づきました。
どんどん不要なものを捨てました。
完璧な人間ではないので、たまには不要なものが増えますが、折々で捨てています。

どうも私をお金持ちだと誤解している人がいるのですが、それは違います。
不要なものを買わないから、本当にお金が必要な時に金策せずとも用意出来るだけです。
医者代が少しネックになっていますが、それはこれ以上の大病にならない為の「投資」です。
大病は、時間やお金、健康、自由、生きがい、大切な人達の笑顔を奪いますからね。

私はヘンリーの質素な生活に同意です。
ただ、定職に就かずに思索にふけるのは同意できません。
日々の継続した仕事の中から、社会性、協調性、指導力などの目に見えないものを学べるからです。
サラリーマンでも、フリーランスでも構わないのですが、一つのものに継続的に従事するほうが、日本ではメリットが高いように思います。

自然と対話して、何かを得たならば、それを社会へ活かすべきです。
なにも、大きな法則を発見するのに何年も費やす必要はない。
休暇中、自然の中でちょっと何か感じたら、すぐに、ちょっと社会・仕事で活かしてみる。
「ちょっと」でいいんです。

自然以外にも、この「ちょっと」は色んなところで発見できます。
地域活動、ボランティア、スポーツ、趣味。
体験することで手に入れた「ちょっと」をちょっと社会・仕事で活かしてみる。
それだけでも、日々が潤うし、前進できます。

このゴールデンウィークは、「ちょっと」を探すのに良い時間ですよ。

Posted by kanzaki at 2012年04月29日 23:49