越後屋
「お代官様のお好きな山吹色の菓子でございます」
越後屋が差し出した饅頭の箱を開けると、そこには小判がたくさん・・・
悪代官
「越後屋、お主も悪よのう(ニヤリ)」
越後屋と聞くと、時代劇では悪徳商人のイメージがありますよね。
越後といえば、新潟のこと。
地元民としては、少し複雑な気分ではあります。
なぜ、越後屋は悪徳商人なのか?
地元の新聞が調べていました。
※
【時代劇研究家に聞いてみた】
この疑問を時代劇研究家・ペリー荻野さんに聞いてみました。
・時代劇で越後屋が悪いことをしてる場面が、ぱっと思い浮かばない。
・映画やCMなど、時代劇のパロディとして象徴的に使われているのでは。
・水戸黄門が「越後のちりめん問屋(ちりめん=絹で作った織物)」と名乗るから、「越後」の知名度が上がった。越後屋の言葉の響きは迫力がある。
・越後屋が定着した一因として、有名な呉服店越後屋(現在の三越)の存在がある。
時代劇は、悪役が大物でないと面白くない。
越後屋(三越)は大店(おおだな)として有名なので、パロディにしやすいのでは。
・パロディが出るのは、長い時代劇の伝統があるからこそ。
理由は何でもいいから、若い人にも時代劇を見てほしい。
※
【三越に直接聞いてみた】
悪者にされている越後屋(三越)。
それをどう思っているのか、三越伊勢丹ホールディングスに電話してみました。
三越の広報担当者
「(悪い越後屋と)当社は一切関係ございませんので、コメント出来ません・・・」
※
【演芸にも越後屋登場】
人気演芸番組「笑点」。
よく、林家木久扇師匠は、越後屋のフレーズを使っています。
師匠の事務所(トヨタアート)へ電話してみました。
・木久扇師匠は時代劇に造詣が深い。
・林家こん平師匠を越後屋に見立てていた。
・こん平師匠が新潟(長岡)出身なので、越後屋にした。
・こん平師匠が療養中の現在も、司会の桂歌丸師匠を悪代官にして、同様のやりとりを繰り広げている。
※
【当時の越後のイメージ】
江戸時代、越後には悪いイメージがあったのでしょうか?
県立文書館の研究員に聞いてみました。
・必ずしも越後出身だから越後屋を名乗っていた訳ではないと思う。
・悪人という見方は、江戸時代の評判ではなく、テレビなどの影響では。
新潟市在住、郷土史家・井上慶隆さんにも聞いてみました。
・江戸での越後人の定番は豆腐屋、風呂屋、古本屋。
・みんな真面目な商売で、悪いことなんてしません。
三越も含め、越後人や越後屋が悪いという印象は無かったのでは。
※※※
以上から、越後屋の悪いイメージは、テレビの時代劇の影響のようですね。
本当の江戸時代に、ワイロ(賄賂)はありました。
汚職の根本原因は、大名たちの給与が安かったからです
徳川家康は、花と実を同一人に与えない考えでした。
つまり、名誉を与えたら給与を少なくし、給与を多く与えたら名誉は与えないのです。
幕府の高いポストの大名の給与は、5万石〜20万石。
役に付けなかった外様大名は、加賀前田が100万石、伊達が60万石、島津が70万石だったりします。
ただし、いくらお金を持っていても安心出来ません。
幕府は、彼らの財産を徹底的に使わせました。
例えば、参勤交代。
各藩の大名を定期的に江戸に出仕させる制度です。
大名行列という大掛かりな行進を行う必要があり、各宿場への出費が多大でした。
また、「お手伝い」というものがあります。
幕府首脳陣が、今年はどんな工事を行い、どこの大名に負担させるか協議します。
そんな多大な負担はたまらんと、工事を引き受けないようにするため、ワイロが横行していたようです。
ただし、このワイロを受け取るのも、各大名たちの財政力を弱めるという徳川家康の方針に基づくものでした。
土建業者も幕府要人とのワイロを平然と行ったり、同業者同士の談合が行われました。
これは、江戸の余剰人員を使うことで、開発と同時に失業者対策でもありました。
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