2012年07月05日

本物の異端とは?〜警察の異端児・「臨場」の倉石義男と、文壇の異端児・坂口安吾

【警察の異端児・「臨場」の倉石義男】

原作・横山秀夫のドラマ「臨場(りんじょう)」は、刑事部鑑識課検視官が主人公です。
検視官は、変死者や変死の疑いのある死体の検視を行います。
その見立てが、捜査の方向性を大きく左右します。

内野聖陽さん演じる主人公・倉石義男は、検視に関して
「死者の人生を、根こそぎ拾ってやる」
「拾えるものは、根こそぎ拾ってやれ」
を信条としています。
現場に残された僅かな証拠も見逃さず、犯人逮捕へ結びつけます。

捜査一課が現場を見て自殺だと断定しても、「俺のとは、違うなあ」と決め台詞を言い、殺人だと見立てをします。

その風貌もそうですし、態度も傲慢だし、上司に楯突いたりして、なかなか組織に馴染まない「異端児」です。
しかし、死体の目利きは超一流です。

そんな主人公の個性が輝くドラマは大ヒット。
現在、その映画版が公開中です。

●神崎のナナメ読み: 「臨場 劇場版」の感想
http://kanzaki.sub.jp/archives/002682.html

【本物の異端とは?】

世の中には、そういった異端児が、様々な場所で活躍しています。
一体、頭角を現す「異端児」は、普通の人とどこが違うのでしょうか?

本田コンサルタントの本田有明さん曰く、「本物の異端」とは、いずれ「正統」になり得るパワーを秘めている異端のことだそうです。

現状に対してちょっと異を唱えたり、不服従を気取ったりする程度では、異端の域にまで達していないといっていい。

「臨場 劇場版」にて、倉石義男はガンで倒れます。
彼の元で鍛えられた部下たちは、倉石が信条とする「拾えるものは、根こそぎ拾ってやれ」で現場をくまなく調べ、犯人の手がかりを発見します。
本物の異端児の行動・信条は、部下たちへ伝わり、正統となった瞬間でした。

【文壇の異端児・坂口安吾】

本田有明さんは「本物の異端」として、小説家・坂口安吾を紹介していました。

新潟県新潟市出身の坂口安吾は、型破りな作風で知られる「異端児」です。
終戦直後に発表した「堕落論」にて時代の寵児となり、無頼派と呼ばれ、多くの作家に影響を与えました。

戦時中に発表した「日本文化私観(角川文庫「堕落論」所納)」には、本物の異端ぶりが表現されています。

ナチス政権下のドイツを追われ日本に亡命した建築家ブルーノ・タウトがいました。
彼は、失われゆく日本の伝統文化を賞賛して評判になりました。
しかし、坂口安吾は本の中で、彼に噛み付きました。

「僕はタウトが絶賛する桂離宮も見たことがなく、玉泉も大雅堂も知らない。
タウトによれば日本における最も俗悪な都市だという新潟市に生まれ、彼の忌み嫌うところの上野から銀座への町、ネオン・サインを僕は愛す」

いきなり挑発的な文章で始まります。
そもそも本のタイトルも、タウトが書いたエッセイのタイトルから付けたものです。

また、失われゆく古き良きものを賛美する人の傾向に対しても、キツく書いています。

「京都の寺や奈良の仏像が全滅しても困らないが、電車が動かなくては困るのだ。
我々に大切なのは"生活の必要"だけで、古代文化が全滅しても、生活は亡びず、生活が亡びないかぎり、我々の独自性は健康なのである」

「竜安寺の庭石が何を表現しようとしているか。
いかなる観念を結びつけようとしているか。
タウトは修学院離宮の書院の黒白の壁紙を絶賛し、滝の音の表現だと言っているが、こういう説明までして鑑賞のツジツマを合わせなければならないというのは、なさけない」

坂口安吾は、日本文化そのものを否定しているわけではありません。
既に現代人の生活には結びついていないものを伝統の権威によって美化し、「鑑賞のツジツマ合わせ」をする精神を情けないと弾弓しているのです。

また、能楽者・世阿弥の謡曲は世界一流の文学と認めつつも、もはや現代人の心に直接響いてこない能の部隊や唄い方は、滅びてもかまわない退屈なものだと主張しています。

そして、「能の退屈な舞台を見たいとは思わない。舞台は僕が想像し、僕がつくれば、それでよい」と言いました。

新しいものは自分がつくると言い切ることが出来る胆力と、それを実行に移せる能力。
それがあって、はじめて「次を継ぐ異端」となり得るのです。

「本物の異端」とは、いずれ「正統」になり得るパワーを秘めている異端のこと。
なかなか心に響く言葉ですね。

そうなるには、「継続」が一番大切ではないかと思います。
大抵は本物になる前に、挫折して歩みを止めますから。

皆さんは、継続しているものがありますか?
もしあるのならば、それを大切にしてくださいね。

Posted by kanzaki at 2012年07月05日 23:24