2015年12月03日

奨学金の返済を完了した私は、奨学金を返したくないと叫ぶ人をどう思うか

定期的に話題にのぼるのが、奨学金の返済に関する考えです。


●奨学金を借りた学生「金を返したくない!学ぶ為に金を借りなきゃいけないなんておかしい!」マスゴミの前で叫ぶ_ハムスター速報
http://hamusoku.com/archives/9098580.html


●これでも奨学金は自己責任なのか? サラ金より過酷な取り立て、巨額延滞料、それでも借りるしかない現実!|LITERA/リテラ 本と雑誌の知を再発見
http://lite-ra.com/2015/11/post-1711.html


現在、日本学生支援機構の奨学金を借りる学生は激増している。

平成24年度「学生生活調査」によると4年生大学昼間部の半数以上の52.5%が何らかの奨学金を受給しているのだ。

これは15年前の約9倍にあたり、しかもそのほとんどが有利子という“借金”だ。

そして多くの学生たちが卒業後この借金返済に苦しんでいるという。


●国立大授業料、54万円が93万円に 2031年度試算:朝日新聞デジタル
http://www.asahi.com/articles/ASHD15H4PHD1UTIL03D.html

文部科学省は1日、年間約54万円の国立大学授業料について、2031年度には93万円程度に上がるという試算を示した。
大学の収入の核となる国の運営費交付金が大幅に減らされる可能性があり、大学が減らなければ、授業料で減収分を賄う必要性があるという。


※※※


私は母子家庭だったので、高校と大学へ通うため、奨学金を複数借りていました。
返済期間である16年間、毎年返済していました。
一度も延滞をせず、無事に完済しました。


私は、奨学金としてお金を貸していただいた機関に、大変感謝しています。
もし、このお金が無かったら、大学へ進学もできなかったし、就職も大変だったことでしょう。


あの時、高校を出てすぐに働いていたら、今とは働き口も生活も違っていたことでしょう。
性格や、ものの考え方も、今の自分とは随分と違っていたように思います。


今の人格形成には、あの時の奨学金が、大きく影響していると思います。
ですから、感謝すれど、批判などする気はありません。



奨学金だけで学校での生活が、全てまかなえるわけでもありません。
家族や親戚、まわりの皆さんに支えられて、あの時期を過ごすことが出来ました。


大きなトラブルに巻き込まれること無く、無事に卒業できたのは、支えてくださった皆さんのおかげなのですよね。


大人になって気づいたのは、大人になったからといって、決して生活にゆとりがあるわけではないという事。
精神的にも、自分のことで手一杯なことの方が多い。


そんな中、見返りとか損得ぬきに支援してくださったのですよね。
ありがたい話しです。



私のお金に対する価値観は、奨学金に影響を受けているように思います。


返済がありましたから、周りの人達のような浪費、ギャンブル、暴飲暴食は好みませんでした。
今も、自分が使うモノは、あまり高額なものは選びません。


その代わり、誰かが喜んでくれることや、感謝をあらわすことには、支出に躊躇しません。
(お金持ちではありませんから、そんなに高額な支出はできませんが・・・)



奨学金といえど、多額の「借金」であることには違いありません。
けれど、進学の際に借りたお金は、ある意味「将来を見据えた正しい投資」ともいえます。


「借金」ではなく「投資」。
実際あの時、大学へ進んだことは、今でも間違ってはいなかったと確信しています。


今の時代、私が学生だったころと、いろんなことで状況も環境も違うと思います。
きっと今の方が、学費はもっと多いでしょうし、卒業後の返済も大変なのかもしれません。
それは理解しているつもりです。


しかし、奨学金の機関や構造について、「学生ローン」だと声たかだかに批判するのはどうかなと思うのです。


相手を批判する前に、貸していただいた奨学金の意味、学ぶ意味、卒業後に働く意味を考えて欲しいです。
冷静に考えれば、批判より前に、感謝が前に出てくるのではないでしょうかね。

Posted by kanzaki at 2015年12月03日 23:21