新潟の「餃子の王将」は、ご当地メニューとして「タレカツ」を販売しています。
1個80円。
タレカツは通常、ご飯を盛ったどんぶりに乗せて「タレカツ丼」として食べます。
単体にすることで、ビールのおつまみや、チャーハンなどのトッピングも楽しまます。
(味噌ラーメンを頼んだら、太麺が売り切れだったので細麺で調理してくれました。これはこれで好き)
(【B級グルメ】肉と米のみ!新潟県の名物「タレカツ丼」は果たして旨いのか!?[けつがバター醤油]【IKKO'S FILMS】)
※※※
以前、食堂があった場所が、駐車場になっていました。
更地にしてしまうと、ずいぶんと狭いお店だったのだなあと寂しくなりました。
中学生の頃にいっときだけ、すぐ隣に住んでいたことがあります。
そんなわけで、ちょくちょく食べていました。
別に、店の人と仲が良いとかのエピソードはありません。
数年前、久々に店内に入って食べたけれど、別段、感動とかそういうものはありません。
淡々と注文して食べて、お金を払って店を出ただけ。
それでも、自分が入ったことのあるお店がこうして消えてしまったことや、思いのほか狭い店だったのだなあということに、なにか寂しさみたいなものはありますね。
記憶がひとつ消えてしまったかのような。
「現実=記憶」というイメージがあったので、そう思ってしまいます。
現実なんて、どんどん消えていき、また別なところで生まれていきます。
自分が体験する現実の数と時間には限界があります。
歳を重ねたら、新しい現実との出会いがどんどん減っているように思います。
そう考えると、現実が消えていく一方なので、頭の中の記憶がスカスカになっていきます。
最近は「現実=記憶」ではなく、「現実=今この瞬間」という考えに切り替えている最中です。
過ぎ去ったものは手に触れることのできないもの。
未来だって、まだ触ることのできないもの。
触って実感を伴えるのは「今この瞬間」だけです。
ちゃんと、今というものに真剣に向き合って生きていけばいいのかなと。
今まで当たり前の存在だったものも、ちゃんと向きあえば驚きと発見があるというもの。
そうすることで、失ったものへの寂しさや、まだ来ない未来への不安も薄れるのではないかと。
若い人ならばともかく、ある程度の年齢になったら、そういう生き方の方が、かえって充実した毎日(悔いのない毎日)を過ごせるのではないかと思っています。
日 | 月 | 火 | 水 | 木 | 金 | 土 |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | |
7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 |
14 | 15 | 16 | 17 | 18 | 19 | 20 |
21 | 22 | 23 | 24 | 25 | 26 | 27 |
28 | 29 | 30 | 31 |