2017年03月04日

「受け入れるのではなく、慣れる」〜連続テレビ小説「ごちそうさん」の再放送を観て

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BSプレミアムにて、連続テレビ小説「ごちそうさん」の再放送をしています。


戦時中、空襲から逃れた主人公・め以子(女優・杏さん)は、義理のお姉さん・和枝(女優・キムラ緑子さん)の家で疎開生活を送っています。
昔からですが、和枝はめ以子に対して、いつも「いけず」な態度をとっています。
しかし、なんだかんだで、め以子にとって心強い味方でもあったります。


ある日、め以子は、自分の息子が戦死したことを知らされショックを受けます。
和枝が、冷たくこう言いました。


和枝
「あのな、一つだけ教えといてあげますわ。
活男君がホンマに亡うなったかどうか知りまへんけど、
子どもを亡くすいうんは、1年そこら泣き暮らしたかて、どないもなりまへんで。
慣れんのに10年、20年。
人によっては一生かかりますさかい。
それは覚悟した方がよろしいで」


昔、和枝は、一人息子の事故死を機に離縁され出戻った過去があります。
つまり、自分自身の体験を話しているのです。


この放送時、ネット掲示板の実況板では、「受け入れるのではなく、慣れろと言っているんだね」とう書き込みがありました。


この一言の書き込みが、私の目に、スッと飛び込んできました。



心理学や思想、哲学の本では、モノゴトが起きた時の心構えとして、「まずは、現状を受け入れろ・受け止めろ」と書かれています。


反射的に反発するのではなく、まずは一旦、余計な解釈を入れず受け入れます。
人間だからいろんな感情が巻き起こりますが、それも評価せずに受け入れる。
その事実を認めた上で、目の前のことに集中し、粛々と解決するために取り組んでいくというのが、よく本に書かれているセオリーです。


私にはこの「受け入れる」というのが、どうにも感覚的に、理解が出来ません。
私は、ブッダやガンジーのような聖人君子はありませんから、感情が巻き起こったら、そのまま暴走してしまいます。


どうやったら、この「受け入れる」という言葉のような心境になれるのかと考えていました。
そんな時、冒頭で紹介しましたドラマを観ました。


「受け入れるのではなく、慣れろ」


実際、主人公はそれから毎日を一人淡々と過ごします。
戦争前は、美味しい料理を大勢で囲んで楽しく食べるのが生きがいだったのに・・・。


一人で食べて、畑仕事をして、寝る。
雨が降れば家にこもり、戦争へ赴く前に夫が書いた手紙を読んだり、家族の写真をながめたり。
最初は、荒れた何もない畑だったのに、やがてたくさんの野菜が収穫できるようにまでなります。
そして昭和20年8月、終戦を迎えます。
この流れを描いたわずか数分の映像が、まるで文学小説を読んでいるような味わいでした。


目の前の事に集中し、粛々とこなしていく毎日。
時には、せっかく実った野菜をイノシシに食い荒らされることもありました。
怒ったり喚いたりせず、黙々と竹で作った柵を自作し、自衛しました。
前へ進めば、必ず問題が発生するのですが、それも集中して考え、解決していくのです。



「受け入れる」と「慣れる」。
この違いを単なる言葉遊びと思う人もいるかもしれない。


けれど、「受け入れる」という言葉よりも「慣れる」という言葉は、とても泥臭く身近に感じられます。
そして、たくさんの時間・回数をこなすことで得られるものだから、私のような凡人でも、少しずつ身につくかもしれないという期待感があります。


慣れるというのは、感覚が麻痺して何も考えられなくなるという意味ではありません。
経験・体験から、コツコツと前へ進むことだと、私は思いました。

※※※


通常の朝ドラは、ラスト1ヶ月になると、登場人物が大量になって、画面がにぎやかというかうるさいのが常です。
なのにこのドラマはラスト1ヶ月だというのに、画面にせいぜい、2〜3人しか出てきません(次週から、少しずつ復活していくのでしょうが)。
その数人の芝居だけで、戦地へ向かう長男、戦死する次男に涙する母親を描いていました。
そんなところも、インパクトを受けましたよ。

Posted by kanzaki at 2017年03月04日 23:03