怒ることは減ったような気がします(イラッとはしますが・・・)。
怒りの瞬間、思考を6秒間停止させます。
感情も消す。
そうすることで、怒りを抑えつけられます。
相手とのやりとりも停止してしまいますが・・・。
少なくとも、相手に危害を与えずにすみますから、関係修復はしやすいです。
どうしても相手が許せなくなった場合は、相手を怒るのではなく、哀れんでみる。
かわいそうな人だなあと。
慈悲の心に転換することで、心が和らぎます。
それでも過ぎてしまったことを引きずり続けてしまうこともあります。
引きずると、どんどん頭の中で、悪い方・悪い方へとストーリーを作ってしまいます。
この妄想が一番手強いです。
こうなると、もう実際の相手が敵ではない。
自分の心との戦いになってしまいます。
形がなくて、どんどん増幅するのが妄想だから、勝ち目がない。
よく、妄想ばっかりすることを「私は妄想族だ」と笑って自虐したりしますが、本当は危ない。
そうしたら、自分を客観視します。
「ああ、私は怒っているのだなあ」と。
そういう自分を認め、受け入れる。
多少は冷静になれます。
私は仙人ではないですから、なかなか完璧にはいきませんが・・・。
※
年齢を重ねると、人生に深みが出て、怒ったり・イラッとしなくなるものだと思っていました。
しかし今は、高齢者でもキレたりすることが多い。
大抵は、自分の扱いが不当だという感情から巻き起こるものです。
「もっと私を大切に扱いなさいよ」と常に心のどこかにあるからです。
おそらくなのですが、これって「金持ち喧嘩せず」の理論なのではないでしょうか。
要はお金。
ゆとりがあるかどうか。
ゆとりがあれば、「もっと私を大切に扱いなさいよ」なんて虚栄心で身を守る必要がありません。
昔は庶民でも、それなりの資産が形成できました。
年齢とともに、どんどん増える。
だから、心もゆとりができて怒らなくなる。
しかし今は、老いも若きもお金が無い。
お金がないから、虚栄心で相手より上にたとうとするしか手がないのです。
※
今の時代、他人から認められたいという「承認欲求」がもの凄く高い。
お金が無いから、その代替品。
なかなか努力に見合うリターンが返ってこないから、不満でイラッとする。
本人が思っている「努力」は、実は他人から見たら大したことがないことが多いのですが・・・。
最近、「そもそも、他人に認められる必要があるのだろうか?」と考えるようになりました。
あの人(家族、職場の人、知人等)に認められたからって、それがなんになるのだろうかと。
それより、自分が集中して取り組むべきものを理解すること。
そして、それを徹底的に行う。
外野は、基本無視。
集中して行ったものは、出来がいい。
その取り組んだ分だけ、満足度も高くなります。
誰かに認められるのではなく、自分が自分に満足するのが一番なのではないでしょうか。
「承認欲求」を向ける方向を相手ではなく、自分に向けてみる。
相手に向けるのは怒りではなく、笑顔だけにしたいものです。
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