2018年03月17日

なにかやったことより、そのあとの食事のほうが記憶に残っています

10代の頃の記憶は、あまり覚えていません。
なにかやったことより、そのあとの食事のほうが記憶に残っています。


ある方にたずねたところ、ピアノの発表会のあと、ホテルで食べるのが恒例だったと聞きました。
発表会の内容は忘れてしまったのだけれど、なぜか食事の光景は鮮明に覚えているそうです。


私も、なぜか記憶していることがあります。
中学生の頃、三者面談の帰り道、母と中華料理屋で食事をしたシーン。
面談内容なんて全く覚えていないし、食事中にどんな会話をしたかも覚えていません。
けれど、なぜか他人の視点からの食事シーンを何度も定期的に思い受かべます。


同じ中学の頃、喫茶店を経営している元・東京の新聞記者さんに勉強を教わっていました。
勉強が終わると、営業している下の階で食事をしていました。
4枚切り相当の分厚いトースト。
十字に切れ目が軽く入っており、その上にとろけるチーズがのっていました。
私は、サンドイッチとか特別な用途でもない限り、4枚切りが好きなのは、幼い頃の影響かもしれません。
サラダは、私がお気に入りだった業務用のドレッシングがかかっており最高でした。


そんな感じに、思い出す出来事は、なにかしたことより、そのあとの食事ばかりです。
味覚は、脳に強力な印象を植え付けるのでしょうかね。


※※※


幼い頃から最近まで、他人に振り回される日々でした。
結局、主体的に動かないから、思い出も薄いのでしょうね。


最近は、他人の夢のために自分の限られた時間を割くことのバカらしさに気づきました。
嫌われないようにする無駄な労力をやめ、自分のやりたいことに時間を割くようにして、やっと少し主体的に生きられるようになりました。


食事は、主体的と言うか、自分が料理を口に運ばなければいけないという点では、主体的です。
そういう意味でも、記憶に残るのでしょうかね。

Posted by kanzaki at 2018年03月17日 23:17