「みうらじゅん」さんは、漫画家等で有名な方です。
もはや「漫画家等」の「等」の方が広く認知されているように思います。
みうらさんが、「プロ」の定義を語っていました。
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●『逃げる自由 〈諦める力2〉』(為末 大 著)より
みうら
僕のやっていることも同じです。
どんなことにも確実に飽きます。
いかに「飽きないふりをするか」かが僕の仕事なんですよね。
「また」だと飽きられてしまうので、「まだ」と濁点がつくところまでやる訓練をね。
「またやってる」を通り越して「まだやってる」って言われることが最終的にプロの称号ですね。
為末
ふりをする、ってことですよね。
みうら
「自分を騙す」みたいなことですね。
人を説得するには自分をまず説得する必要があるわけじゃないですか。
「自分のやっていることはこんなに面白いんだ」っていうことを伝えるためには、自分自身が完璧に洗脳されてないといけないんです。
(中略)
でも、だいたいのことは熱く語れば語るほど引かれるのに、スポーツだけは唯一「好きなんです」って言っても許されるじゃないですか。
為末
そうですね。
許されている。
みうら
ちょっとズルいな、と思うんですよね(笑)。
そこには正義的なものもあるじゃないですか。
為末
「スポーツは全肯定」みたいな。
みうら
僕みたいに「くだらないものを買う」とかになると、もう「全否定」だから。
でもそれを極めて突き詰めていくと、「好きだったかどうかがわからなくなることが好き」という、「空」の状態に至るんです。
そうなるといちばん調子いいですね。
やっていることの真髄がよくわかるような気がするんですよ。
「自分の意見」があるうちはウザいですよね。
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人に認められるぐらいやるには、やはり継続が必要なんですよね。
多分、そうやって継続するできる人ほど、他人に認められるなんて二の次でやっているように思います。
あれこれ手を出すより、なにか一つに夢中になってやり続けるのは素敵です。
ビジネス的な戦略としては、おそらくこれは日本的な考えです。
海外から巨大な資本を投じて似たジャンルが押し寄せてきたら、一気に市場を持っていかれることでしょう。
ビジネスならね。
けれど、人としての生き方としては、これが正解なのかなと。
問題は、継続する際の心のありようかなと。
ネックは「執着」ですね。
本当に大切なのは、「こだわり」です。
一般に、執着という言葉は、たとえば「この契約を何としてでも勝ち取るために、執着する」とか「甲子園に出るために、目の前の一勝に執着する」という表現で使われます。
心理カウンセリングでは、これを「こだわり」と呼んで、執着とは区別しています。
執着には苦しみだけで、笑顔がありません。
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