●『死の壁(新潮新書) 「壁」シリーズ』(養老孟司 著)より
極端に言えば、自分にとって死は無いという言い方が出来るのです。
そうすると「(自分の)死とは何か」というのは、理屈の上だけで発生した問題、悩みと言えるかもしれません。
これは「口」と似ています。
「口」とは何かというと、実は実体がない。
そんな馬鹿なと思われるかもしれませんが、実際に解剖学の用語からは削られてしまっています。
少し考えればおわかりいただけるはずです。
たとえば唇は存在しています。
それを指せばそこにあります。
舌も存在しています。
では唇でも舌でもない「口」はどこにあるのか。
それは穴でしかない。
実体がないのです。
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自分の死というものには実体がない。
それが極端だというのならば、少なくとも今の自分が考えても意味が無いと言ってもよい。
遺産の分割とかそういう死後の処理は別ですが。
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「口」はどこにあるのか、みたいなことを延々と考えてもしかたがないのです。
考えるべきは「一人称の死」ではなく「二人称の死」「三人称の死」です。
そこがつい逆になりがちのようですが、自分の死ではなく、周囲の死をどう受け止めるか、ということのほうが考える意味があるはずです。
だから安楽死や介護、脳死といったことを論じてきたのです。
※※※
【コメント】
ブッダですら、死後のことは分からないから考えませんでした。
養老先生も、自分の死について考えてはいない。
今、世の中に漂っているのは、「老後の不安」です。
老後の健康やお金、家族・人間関係、いろんな事に対して不安があります。
いくら考えても、延々と終わらない。
頭の中で膨らんでいく一方です。
理由は、実体が無いからかもしれません。
自分の体の悪い所は理解できるし、治療もできる。
けれど、漠然とした「健康」というひとくくりにすると実体が無い。
ローンや借金、収入など、一つ一つは数字として明確だ。
けれど、漠然とした老後の日々の支出・収入という「お金」にひとくくりにすると実体が無い。
人間関係もひとつひとつは分かるけれど、ひとくくりにすると漠然としたものになる。
漠然としたものは、明確じゃないから不安だけが膨らみますね。
だから確実に分かる「今」に集中し、取り組むのが良いのでしょうね。
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