●『恐れることは何もない (スマナサーラ長老クラシックス)』(アルボムッレ・スマナサーラ 著)より
皆さんは、中道をこの「ほどほどに」という言葉に当てはめて連想しているのではないでしょうか。
それは大きな間違いです。
間違いである以前に、なんでも「ほどほどに」やって、それで楽しいのですか。
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ですから、中道の教えというのは、そのような「ほどほどに」ということでもないし、「真ん中」という解釈でもない。
それは、超越した生き方を言うのです。
どっちにも寄りかからない生き方なのです。
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「超越した道、片寄らない道こそ正しい生き方」
そこで超越した道というのはどんな教えかというと、正見という言葉から話ははじまるのです。
正見=正しい見解。
正しく理解する。
正しくものごとを見ること。
どっちかと決めるのではなくて、自分が置かれている状況はどういう状態かということを正しくよく理解する。
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人生で出会うさまざまな状況にもすべて当てはまることなのです。
人生で出会うありとあらゆることには、すぐ判断しないで状況をよく把握することが正しい見解、つまり正見なのです。
いい悪いをすぐ判断すると、正見は働かないのです。
つい、なんでも判断するクセがついているから、状況を把握するという形では頭を働かせることはしません。
言い換えれば、頭が眠ったままでものごとを判断しながら生きているということになります。
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ものごとを冷静に、客観的に見ていけば、ただそれだけですべては解決してしまうのです。
現代人の頭は、みんな眠ったままなのです。
昔も今も、人間にはほんとうの意味での智慧が欠落しているのです。
世界中のみんながバカになって、「自分が正しい、自分が正しい」と思っているだけなのです。
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【コメント】
ものごとを良く観察することは、正しい判断につながると思います。
私は天才ではないので、瞬時に100点満点の正しい判断はできない。
間違っていたから、あとで修正することも多い。
しかし、修正するのは、ずっと観察しているからできること。
絶えず観察し、絶えず考える。
集中することが、良い方向へ繋がります。
多分、端から見たらつまらない、きつい内容です。
しかし集中することである意味、楽しさみたいなものも見いだせます。
そのへんにあるものを買う物欲・消費行動にはない、良い面白さがありますね。
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