●『テーラワーダ仏教「自ら確かめる」ブッダの教え (スマナサーラ長老クラシックス)』(アルボムッレ・スマナサーラ 著)より
カンティー(khantī)は忍耐と訳されることが多いですが、「平安」という意味もあります。
つまり、「落ち着いていること」です。
良いことがあったからといって舞い上がることもなく、辛いことがあってもくよくよ気に病むこともなく、冷静に落ち着いていること。
どんなことがあっても混乱せずに、静かな心の状態を守ることはなかなかできないことです。
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ティティッカー(titikkhā)は「堪忍」と訳しましたが、これはいわゆる忍耐のことです。
人は様々な苦しみを味わいます。
どうしても人生の中では良いことよりは悪いことの方が多いのです。
いくら悪いことに遭遇しても忍耐を持つことがティティッカーです。
なぜ自分がこういう目にあわなければいけないのか」などと不平不満の心が膨らみます。
そこで忍耐することが、ティティッカーです。
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お釈迦様は(ブッダたちは)「その二つ(平安と忍耐)が最高の修行ですよ」とおっしゃっています。
一般的な修行のイメージとは違うかもしれませんが、最高の修行というのはこういうことなのです。
何日間も断食をしたり冬に滝に打たれる行などをしたりして、わざと苦しんで忍耐の精神を育てなくてもかまいません。
仏教では信仰とか祈りなど、宗教的なこととはまったく違うことを言います。
「どんなものにも波立たない落ち着いた心」と「つらいことに対する忍耐をつくること」。
いつの時代でも、どこにおいてでも、人は修行といえばこの二つだけやればいいのです。
もしも修行がしたければ、まあこの二つだけやってみてください、とお釈迦様は(ブッダたちは)おっしゃっているのです。
これはやってみるとかなりたいへんで、難しいのです。
それに比べて、祈ったり、踊ったり、呪文を唱えたりすることはずいぶん簡単だと思います。
けれどもそういうことは結局、ただのごまかしにすぎないのではないでしょうか。
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【コメント】
「どんなものにも波立たない落ち着いた心」と「つらいことに対する忍耐をつくること」。
確かに日々の生活を穏やかに暮らすためには大切なことですね。
心のあり方の問題ですから、仕事や私生活の中で育むことが出来るし、良い効果が出ると思います。
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