2025年02月23日

「世界三大幸福論」に共通するもの

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●仕事選びのアートとサイエンス〜不確実な時代の天職探し 改訂『天職は寝て待て』〜 (著:山口 周)より

世の中には様々な「三大〜」がありますが、幸福論にも「 世界三大幸福論」があります。


ラッセルの『幸福論』、アランの『幸福論』、ヒルティの『幸福論』がそれですが、不思議なことに、皆 19 世紀の人です。
なぜ、 19 世紀になって、急に「幸福」に関する議論がかまびすしくなったのか?


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19 世紀は産業革命を経て生活水準が急激に改善した時期ですから、その前の時代と比較して遥かに「暮らしやすい」時代になっていたはずだからです。
つまり、それ以前の時代に「こういうふうに生活できたらいいな」と憧れていた生活を、多くの人が実現できるようになってきた時代だということです。


「幸福論」が社会的に活発に議論されるようになったということは、裏を返せば、 多くの人が「幸福が分からない」と感じていた、ということです。

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「世界三大幸福論」の内容は、それぞれの筆者のバックグラウンドの違いを反映して三様なのですが、いくつかの共通性があります。
その最たるものが「仕事の幸せ」を大事にしている という点です。

「仕事をせずに遊んで暮らすのは不幸」であり、 幸福になるための大事な要件として「仕事することが大事」と指摘されています。

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「週に6日は畑に出て朝から晩まで働く」ということを推奨しているわけです。
語感的にはむしろ「労働」といったほうが近いかも知れません。


「三大幸福論」が共通して示唆しているのは、肩書きとか会社のステータスが大事だとかいうことではなくて、「世の中に確固とした価値を提供している。誰かの役に立っている、必要とされているという実感」が、精神の健康を保つためには必要 なのだ、ということです。

「労働」がもたらす幸福感の本質が「誰かの役に立っている、感謝されている、価値を提供している」という実感によってもたらされるのであれば、給料の額よりも、 本当に「労働」をさせてくれるところを選ぶ、というのが、人生を幸福に歩むためのポイントなのではないでしょうか。


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【コメント】


「誰かの役に立っている、感謝されている、価値を提供している」と感じるのは大切ですね。
労働以前に、生きる糧になります。


まあ、コロナ禍以前なら(下手したら、リーマンショック以前迄さかのぼるかも)。


昨今のモノの値上がりや、税金等の多額な支払い、年金の支給が70歳以降なんじゃないかという不安。


それでいて、給料は上がらない。
だから投資せよと言う人はいますが、普通の人が普通にやったぐらいでは、大した金額にはなりません。
(あと、ニーサは解約した際に、がっつり税金をむしり取られるのでビビりますよ)


そうなると、「やりがい搾取」につながり、社員の「定額働かせ放題」につながります。
こんな時代なので、精神論的な生きる糧だけでは生きられません。
霞を食っても腹の足しにはなりませんから。


就職氷河期世代なので、政治は信用していません。
ここまで生きて感じるのは、積極的に行動し、発言していくこと。
これにより、良い偶然を引き寄せる確率が高くなります。
行動しないと前へ進めませんし、言わないと搾取されるだけですよ。

Posted by kanzaki at 2025年02月23日 19:13