2004年01月20日

点と線

「砂の器」を読んだ勢いで、著者の代表作の一つである「点と線」を読んでみました。
「砂の器」の4分の1程度のボリュームでして、一冊で完結しているおかげで、あっさりと読むことが出来ました。
3時間も必要ないです。
「あっさり」と読む事が出来るのは、きっと著者の筆力のおかげだと思います。
この方は、元は新聞記者だからでしょうか。
5W1Hで簡潔に文章を書いているので、誰にでも時代を超えて読ませる事が出来るのです。
これは見習わないといけないと思いました。

「点と線」はミステリー小説です。
西日本で男と女が服毒自殺したのですが、これは他殺ではないかと刑事が睨みます。
容疑者として上がった男は、その時、全く正反対の北の方へ行っていたのでした。
電車、飛行機の発着時間を利用した、巧妙なトリック。
よく「火曜サスペンス劇場」で、列車の時刻を使ったトリックが用いられますが、その原点のような気がします。
また、殺人事件というと、個人的感情が動機となりますが、そこに政治的なものを盛り込んだのはお見事だと思いました。
そうする事により、話しが壮大なスケールになり、尚且つ、決して世の中は、「正義は勝つ」の理論だけじゃないんだよと感じさせます。
社会派ミステリーと言うのでしょうかね。

ただやはりですね、この当時の小説でからでしょうか。
私は犯人に対して同情の感を持ち得ませんでした。
この人の書いた原作をドラマ、映画化したものは、そこら辺りを補完して、ミステリーの枠に留まらず、人間ドラマに仕立てているようです。
18日から「砂の器」がドラマとしてスタートしましたが、視聴者が犯人を最初から分るのが、原作と一番の大きな違いです。
犯人探しよりも、その犯人が犯罪を犯した以降の心理描写を克明に描くためです。
これだけビッグネームですから、犯人が誰かなんて、視聴者は分っています。
だから、こういう形の方がいいのだと思いました。

私はミステリーをそんなに読まない人間でして、ミステリーもトリックの巧妙さよりも、人と人のぶつかりあい、感情の起伏みたいなものが表現されているものが好きです。
小説じゃないけれど、「金田一少年の事件簿」というマン画は、犯人が分った後も、連続殺人を犯しているにも関わらず、その人に同情してしまう所がありました。
だから読んでいて好きだったのでしょう。
ミステリーをゲームとして読む事が出来ません。
そんなスタンスだから、いつも思う事があります。
大抵のミステリーは、事件を解決する主人公が一癖も二癖もあり、だらしないと言うか、社会不適合者が多いですよね。
ひょうひょうとしていて、そこが良さと云えば良さです。
そんな主人公が、殺人トリックを暴く際、「彼らはとても、雄大な弁論者」になるのが不自然に思っていました。
途中まで、地道に足を使って事件を捜査し、その姿が視聴者・読者に共感等を覚えさせるのですが、最後の事件解決になると、すさまじく「お喋り」になって真相を説明します。
その過程までは、人間ドラマとして描写していても、急に最後に来て、ストーリーを終わらせようと説明口調になるのが、不思議で仕方がありませんでした。
ミステリーにはミステリーの定石があり、それが普遍なもので、それ故に長く続いたジャンルなんですよね。
私はどっちかというと、ゲーム感覚で読むより、感動がしたい人です。
もし何か、感動系のミステリーがあったら教えてくださいね。

Posted by kanzaki at 2004年01月20日 22:57
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