2003年10月27日

ゲリラライブと目

今朝の芸能ニュースを見ていたら、タトゥーが学園祭ゲリラライブを行った模様を放送していました。
そしてその次に、中島美嘉さんが別の場所で行った新曲のゲリラライブを放送。

この二つに共通する点は何か?

観客がカメラ付き携帯電話で撮影している光景です。
会場の観客の殆どが、携帯電話で撮影しています。
カメラを日常から持ち歩く人は少ないけれど、携帯電話はいつもポケットに入っているモノですよね。
ゲリラライブのように、たまたまその場所にいたら突然始まった場合、カメラ付き携帯電話は便利ですね。
実際の話し、あの会場の環境、カメラ付き携帯電話の低スペックでは、まともな写真は撮れません。
奇麗な写真を撮るのではなく、「その状況を撮るという行為」のみに意味があるのでしょう。

秋というと、運動会にて、我が子をビデオカメラで撮影する光景もよく目にします。
旅行へ行けば、奇麗な風景を背景に記念写真。
それで、ふと思うのですが・・・。

帰ってからそれを何回見るの?

と考えてしまいます。
自分自身でそんなに何度も見ることも無いし、ましてや他人の子供の運動会の模様を納めたビデオを何も編集無しに見せられ続けるのは苦痛です。
そういう写真やビデオを見せられる時、ただ単にその作品を見せられても面白くありません。
私が聞きたいのは、その作品を見ながら聞かせてもらうエピソードです。
でも、撮影に真剣になっている人程、あまりその時の状況を面白くお話ししてくれる人っていません。

だって、撮影に夢中になっていて、何も体験していないから。

私達には素晴らしい「目」というものを備えています。
なのに大きなイベントがある際、私達はせっかくの目を使わず、カメラのレンズ越しに状況を把握しようとします。
目と違って、カメラのレンズは、視野を狭くします。
それは機械の性能とかそういう意味ではなくて、自分の体験の幅を狭くしてしまうという事。
撮影に夢中になって、何も心に残っていなければ、その出来上がった作品に魂は吹き込めません。
体験するというのは、自分の目で物事を把握することだと思います。
そうそう何度も見返すことも無いものに集中するより、まず自分の目で、心に出来事を焼き付けてください。
子供が大きくなって、自分の幼い頃の写真をただ見せられるだけより、何も記録として残っていなくても、自分の親の口から発せられるその時の思い出話の方が、子供にとっては素晴らしい「作品」だと思います。

Posted by kanzaki at 2003年10月27日 00:06
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