2003年03月06日

韓国社会で30代の「スタディー族」増加

以下、東亜日報からのコピペ

就職の年齢制限にかかって、一般企業への入社をあきらめた李(33)さんは、このほど、司法試験を受けることにした。
名門大学の経済学科と大学院の修士課程を終えてから、留学と就職の両天秤で2年を過ごしたため、就職のタイミングを逃してしまった。
彼は美術学校の先生をやっている奥さんの助けを受けて、このほど、ソウル冠岳区新林洞(クァンアクグ・シンリンドン)のある考試院型読書室(受験者専用寮)に居住を移した。
「老壮たちの安息所」と呼ばれているここには、50人余りの寮生のうち、20人ぐらいが李さんと同じような境遇の30代以上の受験生たちだ。

昨年、米国で経営学修士(MBA)の留学を終えた黄(ファン・37)さんは、事実上、この6年間、社会生活からかけ離れている。
1997年から父親が経営している会社に、しばらくの間、籍を置いたこともあるが、図書館と外国語塾を往来しながら勉強してきたため、実際のところ「経済活動」をしていない。
留学から帰った後、4ヵ月間、外資系銀行に就職したこともあるが、「雰囲気が予想と違う」という理由で辞め、今は博士課程の留学を準備しながら、高校生への家庭教師で生計を立てている。
彼は、「課長、甚だしくは部長に昇進する仲間たちをみると、いらいらしてくる。しかし、もっと勉強すれば、学界でも業界でも機会があるはず」と期待している。

このように、勉強に対する未練または「幻想」を持って、社会生活から離れて「独りぼっち」で、勉強ばかりしている30代が増えている。
いわゆる「スタディー(study)ルンペン」と呼ばれる彼らは、長期間就職に失敗したり、就職しても適応できずに「人生逆転」を狙って、30代前半にまた勉強を選択している。

一部では、こうした「現実逃避性学習」の副作用を懸念する声が出ている。
社会で「中間管理者レベルのリーダー」になる時期を失したまま、現実感覚を失って、「勉強=大当り」という幻想のみを追いかけていると指摘されている。
20代は就職の機会が多いが、30代は年齢のため雇用市場から歓迎されず、こうした「スタディー・ルンペン」が増えてくるという指摘もある。

実際、30代前半から半ばで、大学入試に挑戦しようとするいわゆる「長修生」も現われている。
ソウル江南区大峙洞(カンナムグ・テチンドン)ハンビット学院の浪人クラスの場合、1クラス35人のうち、5人の割合で、20代後半〜30代前半の長修生が占めている。

モニターコンサルティンググループのソン・ギホン副社長は、「社会と職場で一番忙しく働かなければならない30代の人々が、空白状態に置かれているのは問題だ。
明確な目標なしに、長くは7〜8年間『勉強生活』で転々としている人々が増えているが、これは結局、組職生活への適応が難しいため、採用対象からも外される」と述べた。

ソウル牙山(アサン)病院精神科の洪鎭杓(ホン・ジンピョ)教授は、「(スタディー・ルンペンたちは)勉強さえお上手ならば、なにもかも解決されるという誤った価値観を持っているようだ。
彼らは、年齢にふさわしい社会的任務に恐怖を感じ、いつも20代のマインドで生きていきたいと思っているため、ひどい場合は、一種の退行性、固着性障害につながる可能性もある」と述べた。

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何となく、海の向こうの話しとは思えない内容ですね。
日本でも多くありません?
実際、私の上司が入社10年目にして、「司法書士になる」と決意して会社を辞め、勉強に専念しました。
お子さんも産まれたばかりの中でしたが、家族の理解もあり勉強一筋で過ごされました。
しかし何度か受験したものの合格することはありませんでした。
そして昨年末、とある企業の法務担当として再就職しました。
他にも幾つかそういった人の話しを耳にしますが、合格して大成したという人を聞いたことがありません。
なかなか難しいものですね。
実際問題、合格して独立したとするじゃないですか。
そうすると法律に関しては勿論ですが、お客あっての商売ですから、商売人としての能力や人間としての魅力も必要となってきます。
つまり勉強だけじゃなく、人と接するに際してのマナーや協調性も必要だということです。
現実逃避の為に勉強を志している人では、先が無いでしょうね。
勉強さえできれば何でも許される・・・社会人として働いていて、あまりこの法則が、いろんな人が生きているこの社会では、なかなか受け入れられないのは事実です。
感情的に、そういった人は毛嫌いしてしまう人が多いですから。

スタディールンペンもフリーターもそうですが、人生を一発逆転を狙っているような人って、話していてもこちらはあまり面白くありません。
何かこう、脂っこいギラギラしたものを感じてしまうからです。
そういう人達に共通する所は、人に頭を下げたり、自分の弱い部分を見せられない事だと思います。
自慢ばかりしたり、「いつか俺はビッグになってやる」みたいな事を言っている。
そして万が一、そういう人格の人が資格なり何かを得たとしても、それは自慢と、人を見下す為の道具にしかならない。
精神的に大人になっていないんですよね。
恥ずかしながら、私自身がそういう人間の世界に片足を突っ込んだことのある人だから、そういう「匂い」みたいなものが分かるんですよ。

難しい試験をくぐり抜けて来た人は、それを人の為に使って欲しい。
あなたは王様じゃない。
あなただって社会の中の1人であり、自分が生活するのに必要な食べものや電気、衣料その他、その人が作り出せないものは、他の人が生み出しているから使えるのですから。

Posted by kanzaki at 2003年03月06日 20:43
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