2004年04月26日

東京交響楽団第26回新潟定期演奏会【1】

昨日は私の誕生日でして、悲しい事に、また一つ歳が増えてしまいました。
そんな事にもめげず、私は新潟市民芸術文化会館にて行われました「東京交響楽団第26回新潟定期演奏会」を聴きに行きました。
下の写真が、当日の新潟市民芸術文化会館の様子。

美術の方に関しては、幼少の頃より先生について指導を受けて勉強してきたので、多少は精通しているのですが、音楽、ことにクラシックとなりますと、何にも知識がありません。
そんな私でも歳を重ねるごとに、ジャパニーズポップスよりも、クラシックの方に耳を傾けるようになってきました。
自分の意思でお金を払って聴きに行ったのは、過去にあまりありません。
神ナナをはじめて3年目が経過する訳ですが、その間は行っていませんね。
私は今までこのサイトにて、コンサートの数々をテキスト化してきた訳ですが、果たしてクラシックの世界を旨くテキスト化できるでしょうか?
音楽の専門用語等を全く分からない人間なので、表記に間違いがあるかもしれません。
その際は、コメントにて指摘していただければ幸いです。

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それではしばし、ご一緒にお付き合いください。


今回の定期演奏会は「ウィーン宮廷音楽家の豊熟」と題しまして、
モーツァルト ;ピアノ協奏曲 第23番 イ長調 K.488
マーラー ;交響曲 第5番 嬰ハ短調(最終改訂2002年版)
を演奏しました。
指揮は飯森範親さん、ゲストのピアノはファジル・サイさん。
ちょっと、このお二人についてご説明しましょう(以下コピペ改)。


*飯森範親(NORICHIKA IIMORI)

1986年 桐朋学園大学指揮科卒業後、ベルリンへ留学。
1989年から文化庁派遣芸術家在外研修員として、ミュンヘンのバイエルン州立歌劇場で、当時の芸術総監督 W.サヴァリッシュ氏の下で研鑚を積む。
1994年 東京交響楽団の専属指揮者に就任し、同楽団のポルトガル演奏旅行で成功をおさめた。
同年、CD録音での成功が高く評価され、名門モスクワ放送交響楽団特別客演指揮者(1994年〜1998年)となる。
1995年、大阪のザ・カレッジ・オペラハウスを本拠に活躍するオペラハウス管弦楽団の常任指揮者に就任(2001年4月より首席指揮者に就任)。
広島交響楽団正指揮者に就任(1995年〜2002年3月)。
1996年東京交響楽団創立50周年記念欧州演奏旅行で指揮し、特にミュンヘン公演での南ドイツ新聞では、「今後、イイモリの名が世界で注目されるであろう」と絶賛された。
海外では、フランクフルト放送響、ケルン放送響、チェコフィル、プラハ響、モスクワ放送響などの世界的なオーケストラから度々招かれている。
1999年には、北ドイツ、ブラウンシュヴァイクでの音楽祭(Musikfestivals Braunschweiger Kammermusikpodium)のオープニング・コンサートで北ドイツ放送ハノーファーフィルを指揮し大成功をおさめた他、ヴュルテンベルク・フィル(ドイツ)の定期公演と、同オーケストラとのオーストリア演奏旅行、フランクフルト放送響、ポーランドのルービンシュタイン・フィル等の定期公演を指揮した。
2000年〜2001年にかけて、プラハ響(チェコ)、ルービンシュタイン・フィル(ポーランド)、ドルトムント歌劇場 (ドイツ)、バーゼル響(スイス)に客演した。
2001年5月には、ケルン放送響による放送録音が行われ、大好評を博した。
2000年9月より、ポーランドで2番目に古い歴史を持つ、アルトゥール・ルービンシュタイン・フィルハーモニック管弦楽団の首席客演指揮者に就任。
2001年9月よりドイツ、バーデンヴュルテンベルク州ロイトリンゲン市のヴュルテンベルク・フィルハーモニー管弦楽団(1945年創立)音楽総監督兼首席指揮者(GMD)に就任した。
2002年3月、それまで首席指揮者として活躍していたオペラハウス管弦楽団より、オーケストラの技術的向上およびザ・カレッジ・オペラハウスのオペラ上演への芸術的向上に対する多大な功績により、オペラハウス管弦楽団名誉指揮者の称号を贈られた。

現在、東京交響楽団指揮者(2004年9月より)、いずみシンフォニエッタ大阪指揮者、オペラハウス管弦楽団名誉指揮者、ヴュルテンベルク・フィルハーモニー管弦楽団音楽監督兼首席指揮者、アルトゥール・ルービンシュタイン・フィルハーモニック管弦楽団首席客演指揮者

公式サイトをお持ちです。
http://www3.to/norichika-web
なぜ、無料転送サービスを使うんだろう?(転送先は、biglobe)
これだけ凄い人なんだから、独自ドメインをとればいいのにね(そこがまた、親近感が沸くところなのですが)。


*ファジル・サイ(Fazil Say)

1970年アンカラ生まれ。
アンカラ音楽院でピアノと作曲を学び、17歳でデュッセルドルフ・ロベルト・シューマン音楽大学に留学。
1992年から95年までベルリン・アカデミーで教える。
1995年ニューヨークのヤング・コンサート・アーティスト国際オーディション第1位。
同年ベラカーサ財団賞を受賞し、フランスでのデビュー・リサイタルを飾る。
新鮮な個性豊かな演奏が衝撃を呼び、CDも『春の祭典』『プレイズ・モーツァルト』などが大ヒットしてブレイク。
世界各地で活発な活動を展開している。
作曲家でもあり、ピアノ協奏曲《シルク・ロード》《モーツァルトのトルコ風ロンドによる変奏曲》はじめ多くの作品を書いている。
3回目の来日、新潟では2002年6月に次ぐ2回目の登場。


夕方5時から開始となります。
その前に、4時40分ぐらいから、飯森さんによるプレトークがありました。
私のような無知な人間でも、今回の内容を理解できるように丁寧な解説。
その時の模様を書いてみたいと思います。

開演前の舞台。
そこには、ファジル・サイさんが弾くであろうピアノが一番前にあり、その横に、飯森さんが立つ指揮台があります。
そして扇状に総勢100名近くの演奏者が座る椅子、大きな楽器が置いてあります。
そこへ飯森さんが、皆さんの拍手の中ご登場。
前の方にある椅子に腰掛け、マイクを片手にお話しが始まりました。
飯森さんって、とてもお若いんですね。
芸術家って、なんだか気難しいところがあるはずなのに、とてもフランク・社交的な雰囲気でした。
私のような人間でも、クラシックというものを聞いていいんだと思わせる何か温かいものがありました。

前日の4月24日(土)、サントリーホールにて「東京交響楽団 サントリーホール定期演奏会」があったそうです。
それについては、「正直、大成功」だったそうです。
昨日の勢いで、今日も出来るんじゃないかという強い自信を語っていました。
次に、ピアニスト、ファジル・サイさんについてご説明がありました。
この数日間、一緒に練習をしてきた印象を語りました。

以下、飯森さんの言葉:

今年、34.5歳だと思うけれど、非常に才能豊かと云いましょうか、キャラクターも面白くて、良い意味でも、悪い意味でも音楽家なんですね。
ピアノを弾いている時、(最前列を指しながら)この辺りにいる皆さんは聴こえると思いますけれど、彼は歌いながら弾いているんです。
ちょっと五月蠅いかも(笑)。
日本で云うところのトルコ年にあたるため、彼は親善大使として、昨日もトルコにちなんだ曲を演奏していました。

(解説:2003年は「日本におけるトルコ年」にあたります。
昨年から今年にかけて、文化・観光・投資を柱としたトルコに関係ある行事が日本で行われています。
詳しくは→http://www.turkey2003.jp/index.html )

彼は、ドイツで勉強していたので、僕とはドイツ語で会話していまして、そのうち意気投合してしまいました。
初対面の時は、Sie(ズィー)を付けて、「あなたは、どうなさいますか?」みたいな感じだったのですが、親しくなって、Du(ドゥー)を付けて、「おい、お前」みたいな感じに3日目にはなっていました。

(解説:ドイツ語には「あなた」を指す言葉にSie(ズィー)とDu(ドゥー)があります。
一般には、目上の人、初対面の人、知り合いと呼ぶにふさわしいような間柄の人には「ズィー」を用い、友人や恋人、親戚、家族または子どもに対して「ドゥー」を使って話します。
初対面であった人がやがて親しい間柄になり、ある時を境に「ドゥー」で話すようになります。
詳しくは→http://www.berlinnet789.de/daily/tukiai/sietodu.htm )

彼は演奏の時、コンタクトを求めてきます。
彼がどういう風に演奏したいかを×××(良く聞き取れませんでしたが、多分、仲介者の事)を通さなくても、オーケストラの皆に、事前にテレパシーに乗って伝わってきます。
そして、個性的で、楽しく、笑いが絶えない演奏が出来ました。

この続きは、また次回へ。

Posted by kanzaki at 2004年04月26日 07:00 | トラックバック (0)
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